「わたしのマンスリー日記」第15回 130パーセントのコンサート
管理職への思い
完璧とは100パーセントのことだとお考えください。私が人生上で完璧を意識するようになったのは大学の管理職に就いてからでした。自分の人生を振り返ってみて悔いが残るというか、余計だったと思うのは、大学での管理職でした。大学院教育研究科長、学校教育部長、理事・副学長として筑波大学のために10年近く力を尽くしました。その職務を全うするために費やした時間と労力は余りに大き過ぎました。特に大きかったのは、外部での講演やテレビ出演を制限されたことです。これは痛かった。マンガ家の矢口高雄先生が、生前自由が丘の馴染みの寿司屋で「谷川先生、大学の管理職なんてやらなかったらねえ……」と語ってくれたのを、つい昨日のことのように思い出しますが、「…」の部分は言わずもがなでした。しかし、最終的に「自分がやるしかない」と決断したのは私自身ですので、今更泣き言を言っても始まりません。管理職について成長したなと思えることもあります。それは与えられた仕事を完璧にこなすようになったことです。考えてみると、管理職に就く前はよく言えば自由闊達、悪く言えばルーズそのものでした。授業そのものには誰にも負けないくらい真摯に取り組みましたし、学生たちともトコトン付き合いました。しかし、大学のマネジメントに関しては無関心でした。いわば責任ある管理職の先生方に任せきりということでした。こういう傾向は大なり小なり平教員に一般的なもので、私も例外ではなかったということです。親しい学生からはよく「先生はすぐ忘れるんだから……」と言われたものです(笑)。
完璧への開眼
しかし、管理職に就いた以上そんな無責任な対応を取ることはできません。組織の長となると、毎日接するのは学生でも教員でもなく事務系職員です。事務系職員に適切な指示を与えるのが私の最重要な任務でした。私は幼い頃からお山の大将であり、ガキ大将でしたのでトップに立つことには抵抗感はありませんでしたが、細かな事務的な作業は苦手で人任せにする悪い癖がありました。そんな私でしたが、ミスのないように周到に作業を進める事務系職員の姿に多くを学びました。それまでの私に一番欠けていた側面でした。管理職の仕事でルーティン化されているのは、回ってくる書類に印を押すことです。当然のことですが、書類の一字一句にまで目を通すようになりました。さらに何事にも周到に準備をして絶対ミスを犯さない完璧人間に成長(?)したのでした。昔から私はこれぞと思うことにはベストを尽くすタイプでした。裏を返せば、気が向かないことには手を出さないという割り切り人間でもありました。それでもやるべきことには全力でやり抜く姿勢をつらぬいてきました。管理職の仕事もほぼ完壁にこなしてきましたし、今生業にしている本の執筆でも手を抜いたことはありません。とりわけ校正段階では、一字一句ミスのないように100パーセントを期して作業を進めています。しかし、このような意識に意外な落とし穴があったことに今回のコンサートを聴きながら気付かされました。