「わたしのマンスリー日記」第15回 130パーセントのコンサート

130パーセントのコンサート

 今回コンサートを聴きながら自分の思慮の浅さに気づきました。アーティストたちのパフォーマンスにミスがないのだろうかと考えてしまった裏には、100パーセントという基準に呪縛された思考のしこりのようなものがありました。コンサートを100パーセントの基準で見るのをやめてみたらどうか。そう考えた途端、全ての謎が解けました。世の中には100パーセント以上のものが存在する。このチャリティー・コンサートこそ100パーセントを超えたものだ。だから圧倒されるのだ――そう考えた時「130パーセントのコンサート」という言葉がひらめきました。100パーセントを基準にして物を見るという習性は、学校時代からたたき込まれてきたものです。試験と言えば100点満点が当たり前。成績は常にこの100点にどれだけ近くまで得点できたかで測られる。換言すれば、100点に到達できなかったのはどこでミスしたのかと考えてしまう。私達の多くはこのような呪縛を受けてきたと言えるでしょう。いずれにしても、音楽などの芸術の世界では100パーセントなんて基準は意味をなさないということでしょうね。なぜ130パーセントなのかについては改めて書くことにします。

『ママを殺した』

 当日、挨拶代わりにバケツ隊の皆さんに最新刊の『大阪「地理・地名・地図」の謎』(じっぴコンパクト新書)を差し上げたところ、藤真利子さんから『ママを殺した』(幻冬舎)というショッキングな書名の本が送られてきました。最後に私からのお礼の手紙を掲載させていただきます。また新たな交流の輪が広がりました。

藤 真利子様

 このたびは『ママを殺した』(幻冬舎)をご恵贈いただき、ありがとうございました。生の藤真利子さんにお会いできて嬉しく光栄でした。お礼が遅れたのは現在執筆中の次回作『それでも人はなぜ生きる!? 生かせ いのち』の区切りがつかなかったからでした。申し訳ありません。昨日一気読みしました。読み終わってしばらく感動の余り、天を仰ぐ思いでした。

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