「わたしのマンスリー日記」第16回 生き地獄を見た
入院してまず直面したのはこのコミュニケーション問題でした。私はこの方式を勝手に「空中文字盤」方式と呼んでいるのですが、STさんによればこの方式をマスターしているのは全国で私を含めて数人しかいないとのことでした。
当然病院にはこの方式に通じている人はいません。入院後しばらくは会話が通じず、完全にお手上げ状態でした。この事態が生き地獄に追い打ちをかけたことは言うまでもありません。
結論。「y=ALS×高齢者×コロナ」の方程式を完全に甘く見過ぎていました。反省――。
この厳戒態勢が解かれたのは退院の2日前の2月13日のことでした。担当医の伊藤先生が部屋に入ってこられ、笑顔で右手の親指を立てて「グッドジョブ」のポーズを見せてくれました。粋ですね! 素晴らしく好いドクターでした。このポーズで私は救われました。
さかもと未明さん
Facebookに「死にたいと思った」と投稿したところ、エンジン01仲間のさかもと未明さんからコメントが届きました。未明さんは若い頃膠原病に苦しみながらもそれを見事に乗り越え、今や歌手として画家として国際的に活躍しているアーティストです。
先生、わたしも膠原病悪化で死ぬと言われた時、歩けず、コップも持てず、声も出ませんでした。いまは幸い歩いたり歌ったりできるし、絵も描いていますが、先生の発症のときと似ていて、更に痛みがのたうち回るくらいで、窓から飛び降りようとしたほどです。先生と同じで、治らないとわかったとき、なにかが吹っ切れ、残りをどれだけ真剣に過ごせるかと、考えが変わりました。
先生の活躍、生き方は世界中のALSのかたに励みになります。頑張ってくださいね。
難病の苦しみを乗り越えてきたからこそのコメントでした。ありがとう。未明さん!
谷川 彰英 たにかわ あきひで 1945年長野県松本市生まれ。作家。教育学者。筑波大学名誉教授。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。千葉大学助教授を経て筑波大学教授。国立大学の法人化に伴って筑波大学理事・副学長に就任。退職後は自由な地名作家として数多くの地名本を出版。2018年2月体調を崩し翌19年5月難病のALSと診断される。だが難病に負けじと執筆活動を継続。ALS宣告後の著作に『ALSを生きる いつでも夢を追いかけていた』(2020年)『日本列島 地名の謎を解く』(2021年)『夢はつながる できることは必ずある!-ALSに勝つ!』(いずれも東京書籍刊)がある。
(モルゲンWEB2024)