「わたしのマンスリー日記」第6回「昭和型板ガラス」の下心――素適なジョークをありがとう!
手紙
小学館 K様
過日は『想い出の昭和型板ガラスー消えゆくレトロガラスをめぐる24の物語』をご恵贈賜りながら、お礼の返信が遅れ誠に申し訳ありません。・・・・・
3日ほど前一息つきましたので拝読いたしました。装丁の素晴らしさ、挿画の美しさにも惹かれて一気読みさせていただきました。残ったのは昭和の時代へのノスタルジーと爽やかさでした。そこには格式張らず気取らない庶民の生活の息づかいが流れていました。その点がまず柳田国男研究者としての私の心を捉えました。
恥ずかしながら私は本書を読むまで「昭和型板ガラス」なるものの存在を知りませんでした。長野県松本市の片田舎に生まれ育ったせいかもしれませんが、生家が幕末の嘉永年間に再建された禅寺の建物であったことによることかもしれません。
「型板ガラス」という一見ささやかなものに文化的価値を見出して作品にまで仕上げてこられてきたpieniさんと著書としてまとめられた石坂晴海さん、そして本書の出版の労を取られた御社にまず敬意を表します。その上で一点お伺いとお願いしたくペンを執った次第です。
過日のお便りの中で、「石坂さんのご用命で、見本本をお送りさせていただきました」と書かれておられました。そのことに関する件です。石坂さんとはこれまで特に個人的な交流があったわけではありません。にも拘らずなぜ私に本書を送るよう「ご用命」されたのか是非伺いたいと思います。
当初はALSを宣告されながらもそれに負けじと執筆活動を続けていることへのエールなのかと考えました。しかし本書を読んでそうではないことがわかりました。そうではなく「型板ガラス」と私がライフワークにしてきた「地名」とのある種の類似性に気づかれて「ご用命」されたのではないかと考えるようになりました。石坂さんはそんなことまで考えて用命したわけではないと言われるかもしれませんが、本書を読み進めるにつれてその思いが募ってきました。
かなりオーバーに申し上げると、本書の「型板ガラス」という言葉を「地名」に置き換えても少しも違和感がないのです。先ず吉田智子さんの「物語がはじまるまでの物語」の中の次の一文に目が釘付けになりました。