「わたしのマンスリー日記」第6回「昭和型板ガラス」の下心――素適なジョークをありがとう!

「下心」

 佐藤はるみさんとは不思議な出会いをしました。ボクは筑波大学退職後縁あって放送大学文京キャンパスの対面授業で「日本列島 地名と風土」という授業を担当する機会に恵まれました。自分としては最も話したいテーマでしたので、言わばノリノリの授業でした。この授業はボクがALSで倒れて中断という結果になってしまいましたが、学生からの評価も高いものがありました(自分で言うのも何ですが)。
 おそらく今から8年位前の某年某月のことでした。数週間にわたる授業が終わってひと息ついていた時、一人の女性が教壇にいるボクに挨拶に来ました。受講生の一人かなと思ったのですがそうではないとのこと。では、と話を聞いてみると、この授業を受講したかったけれど、家庭の事情でできなくて残念でしたという話でした。
 それが佐藤はるみさんとの出会いでした。だからどうするという話でもなかったので、とりあえずボクが主宰するT2倶楽部への入会を勧めました。T2倶楽部はボクが筑波大学退職後に作った言わばファンクラブみたいなもので、佐藤さんはこれをきっかけに熱心な会員になってくれました。
 大した活動をしているわけではありません。隔月に「T2通信」という通信を発行しているだけですが、佐藤さんは通信の熱心な読者であり続けてくれています。T2通信の発行以外にALSに倒れるまでは年2~3回の地名ツアーをやっていました。
 忘れもしない2018年3月末の某日、「染井吉野」のルーツをたどるツアーを組みました。染井吉野発祥の地「旧吉野村」があった巣鴨から旧中山道の板橋宿をたどるツアーでしたが、その時はすでに2~300メートル歩くのがやっとというほどにボクの体は病魔にむしばまれていたのです。
 板橋の由来となった石神井川に架けられた「板橋」は満開の染井吉野に彩られていました。たまたま横に並んで歩くことになった彼女がつぶやいた一言が妙に心に残りました。
 「先生、私たちを見捨てないでくださいね」
 若い頃から著述業に携わってきたというだけあって、彼女の紡ぎだす言葉の端々に何か心に残るものを感じるんですね。

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