「わたしのマンスリー日記」第7・8回「生活科魂」――三つの心

3度目の「外出」

 6月17日土曜日、私はALS宣告後3度目の外出を果たしました。果たしたなどというと大げさですが、私のような重度障害者にとってはそれほど「外出」するということは大変なことなのです。
 ALSを宣告されて以降、遠出の外出などとてもできないと諦めていました。でもそれじゃ余りにも悔しいし悲しい。あの人にも会いたい、この人にももう一度会いたい、生まれ故郷信州の山並みをこの目でもう一度見たい! それまではALSごときに負けるわけにはいかない――。
 そんな思いでチャレンジしたのが昨年10月に果たした岐阜までの遠出の外出でした。最初の外出で不安もあったのですが、エンジン01文化戦略会議の仲間たちとの数年ぶりの再会の喜びの方が数百倍勝りました。
 2回目の外出は今年の3月の3.11チャリティーコンサートへの参加でした。「利他の精神」に溢れたコンサートの感動は本連載の3回目に「壁のないコンサート」としてお伝えした通りです。
 そして今回が3回目。「日本生活科・総合的学習教育学会」といういささか長い名前の学会の全国大会第32回神奈川大会に参加するためでした。学会参加とはいっても懇親会のみの特別参加で、昔の仲間の顔を見に行くのが目的でした。

「生活科」との出会い

 平成元年に改訂された学習指導要領で「生活」(生活科)という教科が小学校低学年に設けられました。それまであった低学年社会科・理科を排して新設されることになったことに加えて、高等学校にあった「社会科」が「地理歴史科」と「公民科」に再編されることになったために、特に社会科関係者からは「社会科解体」として強い反対の声が挙がりました。
こともあろうに、社会科教育研究者として千葉大学から筑波大学に移ったばかりの私に文部省から、生活科の協力者になってほしいという依頼を受けたのはそんな最中でした。
 人生はドラマだとはよく言ったものです。正確な年は忘れましたが、某年4月の月曜日の朝9時半頃文部省の生活科担当教科調査官の中野重人先生から自宅に電話がありました。私はちょうど出かける前でしたので、とりあえずご用件は? と伺うと、今日行く場所と時刻と電話番号を教えてくれというのです。先生は慌ただしそうに「お願いしたいことがある」とおっしゃっていました。
 私のその日のスケジュールは、図書館などを回った後午後3時に東京渋谷の某小学校を訪問することになっていました。忘れもしない、ちょうど約束時刻の3時の2、3分前のことでした。正門に入った私の姿を見かけて職員室から大きな声がかかりました。
 「文部省から電話が入っています。急いでください!」
 もちろん電話主は中野先生でしたが、普通の公立学校に文部省から直接電話が入ることはあり得ない話なので、電話を取り次いだ職員の方も何が起こったのかとうろたえた様子でした。
 用件は文部省の生活科協力者会議のメンバーになってほしいという説得でした。中野先生の説明を受けたのですが、何せ人様の学校の電話、長話もできません。結局「ええ、まあ……」という曖昧な返事をしたことが、相手方には「はい」とでも「イエス」とでも受け止められたのでしようね。結局私は不承不承、文部省の生活科の協力者になることになったのでした。
 携帯電話やスマホが普及していなかった時代の話。今考えると喜劇映画を見ているような気がします(笑)。
 これが生活科との出会いでした。でもこの時点ではこの出会いが私の人生を大きく変え、ひいては日本の教育を変えるきっかけになるとは夢にも思いませんでした。

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