「わたしのマンスリー日記」第7・8回「生活科魂」――三つの心

 このメッセージの中で3回会場から拍手が起こりました。会員の皆さんがどこに反応したか紹介しましょう。
一つ目は「どんなに苦しくても夢を捨てないこと」の箇所でした。これは素直に私へのエールだと受け止めました。
二つ目は「未来の自分にワクワクドキドキできる子どもたちを育ててください」でした。これは育てるべき子ども像が共有化されていることの証しだと考えました。
 そして三つ目は「本大会の準備に当たってくれた大会会長の吉田豊香先生を始め準備委員会の皆さんに感謝申し上げます。素敵な第32回大会をありがとう! そして、ご苦労様――」。これは苦労して準備してきた先生方への感謝のエール。会場は一気に盛り上がりました。

再会そして出会い!

 たくさんの昔の仲間たちに会うことができました。以下「先生」呼ばわりはやめて「さん」づけでいきます。中野先生の後を継いで教科調査官さんになった嶋野道弘さん(後に文教大学教授)は私の後を継いで学会の会長を務めてくれました。私の動かぬ手をしっかり握って「これ感動したよ」と言って見せてくれたのは、私が大会紀要に寄せたメッセージのコピーで、指は「4年前不治の難病ALSを宣告され手足は動かず発声もできませんが、心(精神)は自由で元気です。そう簡単には負けませんよ!『生活科魂』で皆さんに会いに行きます」を指していました。
 中教審委員を務めた無藤隆さん(元白梅学園大学学長)は私と対面した後泣いていたそうです。嶋野さんと無藤さんと私はほぼ同じ世代で(私が1945年、お二人は46年生まれ)、中野先生の精神を継ぐ生活科トリオだと私は勝手に考えていました。
 嶋野さんの後を受けて教科調査官に就任したのが田村学さん。田村さんは先に紹介した大手町小学校の教諭でしたので、ひょっとして私の歌った「高田の四季」を聴いてくれていたかも、です。生活科の研究に携わってきた実績が認められて文科省に入ったのですが、かねてよりキャラクター的にも教育実践研究の姿勢においても私の後継者は田村さんしかないと、これも勝手に決めていました。その田村さんがこの4月から学会の新会長に就任したと聞いて喜びも一入(ひとしお)。現在は國學院大学教授です。
 この3月まで会長を務めたのは広島大学の朝倉淳さん。コロナ禍で運営が困難な中よくしのいでくれました。「ご苦労様!」の一言を返しました。
 その前の会長は愛知教育大学の野田敦敬さん。平成10年の学習指導要領の改訂に向け新たな協力者会議が設けられ、私はその座長を命じられたのですが、野田さんはそのメンバーの一人。若く元気な弟のような存在でしたが、その後学長に選ばれ今年は4年目だとか。兄貴分(?)としてこんな嬉しいことはありません。 

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