「わたしのマンスリー日記」 第1回  “Do for Others”

ALSの宣告

 ところが過酷な運命が突如私を襲いました。2018年2月19日のことでした。突然食事がのどを通らなくなり、1週間で体重が10キロも落ちてしまいました。これは恐怖でした。それからの1年余りは地獄でした。どこの病院で診てもらっても原因は不明。検査の途中で前立腺がんが見つかりその治療に追われる一方で次第に歩行が困難になり、発声もかなわなくなっていきました。

 そして運命の時は2019年3月22日の深夜(正確には23日午前2時半頃)訪れました。呼吸不全のため救急車で大学病院に搬送されたのですが、発見があと15分遅れたら助からなかったとも言われました。あの時私は間違いなく死んだのだと思います。ALS(筋萎縮性側索硬化症)と宣告されたのは5月の末のことでした。この辺までのいきさつについてはALS宣告後の1冊目の『ALSを生きる いつでも夢を追いかけていた』(東京書籍、2020年)に書きました。あとどれだけ生きられるかわからない中で、自分の人生の来し方を振り返ったものでした。生死の淵をさまよいながらも先ず「生きる」を選択し、自分のために書いた本でした。当時はまだ手の指もまだ辛うじて動きパソコンのキーボードを打つことができましたが、人工呼吸器を付けていために発声はできずそれは今も続いています。

それでも本を書く!

 そんな状況下で1冊の本を書くことが至難の業であることはわかっていましたが、当時は単純に「本を書くことならできる、いやそれしかできない」と考えていました。決して他人(ひと)のために(for others)書いたわけではありませんし、増して自分のALS以降の生き方が他の人たちに勇気や元気を与えることになるなどとは夢にも考えていませんでした。正確に言えば、10万人に1人か2人しか罹らないという不治の難病を突き付けられてどう生きたらいいのか、自分のことで精いっぱいだったというのが偽らざる姿でした。

 そんな私の目を開いてくれたのは大分の小学校6年生たちでした。ALS宣告後2冊目に出した『日本列島 地名の謎を解く』(東京書籍、2021年)を大分市立半田小学校の石井真澄先生に送ったところ、たまたま本に記載されていた「姫島」が修学旅行の候補の1つに挙げられていたこともあって、その後奇跡ともいうべき交流が生まれました。また、この本の書評を書いていただいた縁で知己になった明治学院学院長(当時)小暮修也先生との縁で、私の生き方情報は爆発的に広がっていきました。それは例えて言えば、「小暮扇子」を一気に開いたようものでした。2冊目を書いた時は手足は完全に動かず発声もできない状況だったことから「奇跡の1冊」とも「驚異の出版」とも評されました。そんな中私は3冊目の執筆を進め2022年7月に『夢はつながる できることは必ずある!-ALSに勝つ!』(東京書籍)を上梓しました。この本についても小暮旋風(!)は吹きました。

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