「わたしのマンスリー日記」第6回「昭和型板ガラス」の下心――素適なジョークをありがとう!

 それがある夜「このガラスたちは捨てない。絶対に捨てられない」と「決定」したのは、たまたま見たネット記事で「ひとつひとつの柄には名前がある」と知ったからです。(3ページ)

 そして次のように言い切っています。

  名前があるものを捨てるわけにはいかない。それが私の決定です。名前は「いのち」に等しいからです。(同上

 この言葉は著者の型板ガラスへの思いを込めた見事な表現です。私がこの言葉に深い感銘を受けるのはこの言名はそのまま地名にも当てはまるからです。私も「地名は『いのち』に等しいからです」なんて名言を残したかったなあと今になって考えています(笑)。
 もう一カ所心から拍手を送ったのは、最後に書かれている「つなげる仕事の“その先”へ」の中の「手作り」「手書き」「手渡し」の3つの「手」の話です。その「手渡し」についてこう書かれています。

  私は対面で販売したい。その理由はいくつでもあげられます。
  まず、昭和型板ガラスにかぎらず、ガラスの美しさは写真では伝わらないことです。プロ仕様のカメラで撮影しても実物には遠く及びません。(以下略)
  もうひとつ(ここがもっとも大事なのですが)昭和型板ガラスをじかに見て、触れて、感じてもらえること、このガラスが「ここにいる」、その流れを伝えることができることです。どこかの家庭で長い時間を過ごし、解体されて、今ここにある。それを知って見るガラスと、知らずに見て、ただ「きれい」だと思うのとは違う。心が体験することがまったく違うからです。(94ページ)

 著者の吉田智子さんの型板ガラスへの思いは、そのまま私の地名への思いに重なります。私はこれまで半世紀近くかけて全国津々浦々を巡って地名の記事を書き続けてきました。その数は著書の他雑誌や新聞の連載を含めると優に1000を超えていると推察されます。その間一貫して貫いてきたのは現地取材して書く姿勢でした。pieniさんの立場を「現物主義」と言うのなら私の立場は「現地主義」と言えます。
 中央の図書館の文献やネット情報だけでは一つ一つの地名の真実に迫ることはできません。現地を歩いて日差しを仰いだり風を受けたりすることを通して初めて「その地名」の神髄に触れることができます。私は今でもかつて取材した現地の光景をすべて写真のように思い出すことができます。それは現地をこの足で実際に歩いてきたからです。現地取材をしない地名研究なぞ単なる絵空事に過ぎない――とまで考えています。
 先ほど引用した智子さんの文章を私流に地名に置き換えればこうなります。―――地名をじかに見て、触れて、感じること。この地名が「ここにいる」。その流れを伝えることができることです。どこかの地域で長い時間を過ごし、忘れられそうになりながらも、今ここにある。それを知って考える地名と、知らずに考えて、ただ「面白い」と思うのとは違う。心が体験することがまったく違うからです。
 さてこれからがお願いです。私は今年の1月からモルゲンwebに「わたしのマンスリー日記」という連載を始めています。本書を拝読して、6月の記事で「型板ガラスと地名 断章」というようなエッセイを書いてみたいと思いました。趣旨は本メールで書いた通りです。
 そこでお願いですが、本メールをpieniさんと石坂さんにお送りいただき何らかのコメントをいただけないか伺ってもらえないでしょうか。本来ならば私の地名本をお送りしてからお願いすべきところですが、毎月のアップが10日ということになっており日程的にタイトですので、送本は改めてということでお願いいたします。できれば6月5日までにいただけると助かります。・・・・・
       2023年5月18日
                 地名作家 筑波大学名誉教授 谷川彰英

関連記事一覧