「わたしのマンスリー日記」第7・8回「生活科魂」――三つの心

生活科推進者への変身

 改装前の文部省の暗い一室で開かれた協力者会議に遅れて参加したのは、その数日後のことだったと記憶しています。行政ではよくあることですが、文部省は相当急いでいたようです。この会議で出会ったのが今回の神奈川大会の大会会長を務めた吉田豊香先生でした。 
 吉田先生によると、私は初会合の挨拶で、文部省から強引に頼まれてしぶしぶ参加したというようなことを口走っていたとのことです。今にして思えば赤面の至りですが、当時の私は1987年に「連続セミナー 授業を創る」という社会科を中心にした授業づくりの運動を立ち上げたばかりで、いわば<行け行けどんどん>といった状況でしたので、生活科にまで手を伸ばす余裕はないと考えていたというのは事実です。ついつい本音を漏らしてしまっただけのことでした。
 しかし、協力者会議に参加し生活科の神髄がわかってくるにつれ、私の生活科認識は大転換を遂げることになります。それ以降私は文部省の中野重人先生を支える強力な生活科推進者に変身したのです。私の恩師の上田薫先生は生活科については批判的でしたし、全国の社会科教育研究者の大半は懐疑的な姿勢を示していました。そんな中で私がなぜ生活科を推進するようになったかについては、マンスリー日記ではとても書き尽くせませんので改めて語ることにしましょう。
ただ、私がなぜ生活科の定着・発展に力を尽くしたかについて詳細に分析して学会発表の上、論文にまとめた若い研究者が現れたことは意外でもあり頼もしく感じました。取材も受けましたが、論文の趣旨はほぼ妥当で十分納得できるものでした。
 生活科を新設したその背景には当時の子どもたちの生活体験の不足、自然離れ現象などへの対応というねらいがあったのですが、教科のキーコンセプトは「自立の基礎を養う」でした。この深さについては後で述べます。
 生活科の新設は戦後初めての教科再編ということもあって、空前の反響を呼び起こしました。私が主宰する連続セミナーが主催した大阪での研究会には、三千人近い教師達が押し寄せました。
 生活科の精神はその後「総合的な学習の時間」に引き継がれ、今や小学校のみならず中学校・高等学校にまで広がっています。この総合的な学習の時間についても中教審(中央教育審議会)の専門委員として分科会の主査を務めた時の秘話もありますが、これについは後程少し触れることにします。

「生活科魂」

 すっかり前置きが長くなってしまいましたが、以上のことをご理解いただかないとなぜ私が神奈川まで出掛けたのかわかりませんので、書かせてもらいました。これからが本番です。しばしご辛抱を!
 次に紹介するのは大会実行委員会の依頼によって大会紀要に寄せたメッセージです。

「生活科魂」
                              谷川彰英
第32回大会、感無量! 嬉しいです。そして吉田豊香先生を中心にして頑張った準備委員会の皆さん、ありがとう!
 「生活科」誕生に当たって私は二つだけ(!)良いこと(?)をしました。一つは本学会の設立を当時文部省の視学官をされていた(故)中野重人先生に進言したことです。「学者の会」ではなく、会員一人ひとりが「個人の立場で自由に思考し表現できる学ぶ会」を創ろうというのが私の思いでした。
 もう一つは完全実施の前年の平成3年秋のこと。視学官の中野先生が実際に授業して範を示したらどうかという話が持ち上がりました。しかし生活科について賛否両論渦巻くなか文部省の責任者が授業を行うことはリスクが高いとして、私がその代役を務めました。11月30日、大分大附属小の2年生を対象にした授業でした。
 生活科はその後の日本の教育を変えると共に私の人生も変えました。当時、幼少期の生活経験や体験活動は老後にこそ生きると主張していましたが、今その試練に直面しています。4年前不治の難病ALSを宣告され手足は動かず発声もできませんが、心(精神)は自由で元気です。そう簡単には負けませんよ! 「生活科魂」で皆さんに会いに行きます。                  
                                           (第3期会長)

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