三田 紀房さん(漫画家)
東京では一人暮らしを
そうです。両国のちゃんこ屋さんでアルバイトをしていたんですが、賄いがあってね。大学でも剣道部に所属して、その練習が終わるのが六時半くらい。大学のある御茶ノ水から両国はほど近いですから、そこでご飯を食べて、という生活を三年くらい続けました。
卒業後は百貨店に就職されます
就職活動を始めたのが少し遅かったんです。それでお盆が明ける頃に、あ、そうだ、就職しなきゃという 感じで就職課に行ってみると、「今から行けるようなところは流通しかない」と言われてそのまま。ただ、百貨店では紳士服売場の担当だったんですけど、 結局、一年で辞めることになって。その頃、父の体調がよくなくて、家に戻って来てくれと。家業は兄が継いでいたんですけど、お前も手伝えと言われてね。そこからだいたい六年くらいは手伝いました。
漫画家になったきっかけは
なにしろ商売が赤字で給料も出ないんです(笑)。丁度、時代の潮目で、郊外型の大型店がボコボコできてくる一方で、商店街はどんどん廃れていっていた。兄もなんとなく幕を引きたいなという感じがあったんです。それで兄と話し合うと、「借金は土地、 家を売っぱらって資産売却すればなんとかなる、おれは地元でなんとかやるから……」と言うんで、ぼくも、なにか手っ取り早く、自分ですぐ作れるものはないかなあと思って、漫画ならなんとかなるかなと。
なぜそこで漫画が思い浮かんだのでしょうか?
なんとかなるような気がしたんですよ。話は適当になにか作れるじゃないです か。それに漫画はまず賞金が高いんです。それで大学生の頃から個人的にお付き合いしていた漫画家の村上もとかさんが店にもよく来られていたので、「ちょっと浸画を書いたので見てもらえないですか」と言っていきなり原稿を手渡して。びっくりされましたけど、一読して、「これ面白いよ、きっとウケる」とほめてくれたんです。じゃあというので応募すると、ラッキーなことに賞をもらって。で、すぐ、月刊で連載しましょうということに なった。ですから、連載が始まってしばらくはお店もやっていたんです。