「わたしのマンスリー日記」第19回「どんな難病でも私たちは諦めない!(その1)さかもと未明さんとの対談SP

【谷川】すごいなあ。未明さんの方がずっと私より先を行っている。私の場合は死を宣告されてしばらく生死の間をさまよっていたのですが、どうしても死ぬという正当性(?)が見つからず、結果的に「生きる!」を選択したわけです。私には生と死とは二律背反そのものに思えて、死ねないなら生きるしかないと考えたんです。
 さらに、生きるとはどういうこと? と考えて到達した結論は、「何かをし続けること」でした。そこで今の状態で何をし続けることができるかと考えたのですが、得た結論は「本なら書ける!」でした。すでに手足は動かず人工呼吸器を付けていたために発声もできませんでしたが、腕に残るわずかな力でパソコンには向かえたのです。
【未明】そこで最初に書かれたのが『ALSを生きる いつでも夢を追いかけていた』(東京書籍、2020年)なんですね。
【谷川】そうです。でもこの本はタイトルを見てわかるように、ひょっとしたら自分の最後の遺著になるかもしれないという思いで書いたので、利他どころか、過酷な運命にさらされる中で自分がどう生きるかを考えることで精一杯でした。その意味では利己の本だったように思います(笑)。
 しかし、その後地名本を出したり、全国の仲間向けに隔月に発行しているT2通信で私の生き方を伝えたりしたところ、意外な反響が起こってきました。私の生き方から勇気や元気をもらったという人が次々と現れたのです。
 これは全く予期せぬ展開でした。私はALSを宣告されて多くの人から見放されて一人寂しく死んでゆくものと思っていました。ところが実際は逆で、人脈はぐんぐん広がり旧交も深まっていきました。おそらくそれは苦しみや辛さを包み隠さず吐露したからだと思います。
 本書でも述べましたが、私は小さい頃からどちらかと言えば強い人間でした。決して弱音を吐かず人前で涙を流したこともありません。そんな人間が講座でボロボロ泣いてしまったのですから、参加者はびっくりしたと思います。それだけ弱さを人前にさらけ出せる人間に生まれ変わったのだと思います。
【未明】涙に包まれた講座なんて素敵ですね。それだけ参加者の心を打ったということですね。

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