「こころの病も心身一如の自然治癒力」―季節性うつ病から双極性障害を自ら体験して― 第6回 「西洋医学への懐疑と〝冬季うつ″と」

 この分では、やがては遺灰を山や海にまく散骨にも規制が及ぶのではないでしょうか。とどのつまり私は、実母の看取りを通して現代通常西洋医療に見切りをつけ、自然治癒力や免疫力を活かした本来の医療への転換を決意し、53歳で日赤病院を退職したのです。

 さて、私の持病だった胃・十二指腸潰蕩は、平成10年「養生所あうんくらぶ」開業から今日まで再燃はなく、過飲しても胃痛を自覚したこともありません。一人科勤務医を手放したからでしょう。

冬季うつを自覚する

 平成13年4月、益田市から郷里の江津市桜江町川越の実家の方へ転居しました。中国地方一番の「暴れ太郎」 の異名を持つ 「江の川」 の水害宅防かさ上げ工事の完了を待って再建された小松家の新居での生活と別棟の「養生所あうんくらぶ」の診療が始まりました。

 ところが、山陰の冬場の朝は日の出が遅く、暗くて寒いのです。益田の家の方は、南の窓から朝の陽射しがありますが、実家は、南側に日本一乗客数の少ないJR三江線(現在は廃線)の線路をはさんで、すぐに急峻な里山がせまっていて、朝日をさえぎります。 江の川向うの北側の家々とはまるで日照条件の差があるのです。

 そんな環境ですから転居して最初の冬、早速、季節性うつ病(正式には季節性情動障害)の冬季うつ状態に陥りました。年賀状を出す準備にかかる頃から憂うつな気分となりますが、春の彼岸ごろには次第に治まってくるのです。

 一度、うつを押してワープロを購入し、年賀状作りにチャレンジしたことがありました。その結果出来あがった賀状の字は、とても小さなものだったことを今でもはっきりと覚えています。自信のなさの表れでした。この一件でワープロを手放し現在に至り、ケータイ、パソコン、インターネットもずっと拒否しています。

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