ちば てつやさん(漫画家)
孤立無援で一家6人で大陸流浪の1年。想像を絶します
よくも一人も欠けず無事に、という思いはありますね。あの頃は、道ばたで子どもがガリガリにやせこけて亡くなっているのをよく見かけた。わたしたち家族もみんな栄養失調で、あばらが浮いてお腹ばかりボコっと出ていて。手と足は割り箸のようにやせ細り、なにを口にしても身体が消化を拒否して吐いてしまう。服はもう大分前からボロ切れのように痛んでいて……。当時、中国には500万人と言われる日本人が取り残されていたけど、みんな同じ格好をしていましたね。
しかし、いま思うと本当によく帰ってこれたなァ、と思います。特に幼子4人を連れた両親はどんなにか心細かったことか。ただ本にも書きましたが、子どもは親がいると不思議と怖くないんですよ。お腹が減ってびーびー泣いていても大丈夫なんですね。それでも、なかには自信を失って中国人に子どもを預ける親もいました。その当時、日本人の子どもは頭が良いと思われていたから中国人は喜んで日本の子どもを受け入れていたんです。背景には、一定の教育を受ける文化がアジア全土にいきわたっていなかったというのがあると思うけど、とにかく餓死させるくらいなら、という親もいましたね。
最新作『ひねもすのたり日記』の着想は
30年ほど前に日本と中国が国交を回復したでしょう。実は私はそれまで自分が引揚者だとかそういうことはあまり周りに言わなかったんです。というのもどこか負い目のようなものもあってね。ところが国交が回復したときに、「これで中国行こうと思えば行けるな」と誰かがポツリと言った。ちょうど漫画家仲間といたときで、赤塚さんか森田さんか、それとも、もしかしたら自分だったか……、それはさだかではないけれど、その言葉に「なんで?」と誰かから反問が飛ぶと、また誰かが「俺はね引揚者なんだよ」って。そうしたら「俺も」「俺もだよ。どっから来たの」と次々に名乗りだして、一気に故郷話に花が咲いた。
漫画家仲間のなかにも何人も引揚者がいたわけですよ。中には向こうで生まれた人もいて「懐かしいから行ってみたい」と涙を浮かべたりね。それで結局、赤塚さんを団長にツアーを組んで行くことになった。参加者はそれぞれ住んでいた場所を予めガイドさんに告げておき、そこをまわるわけだけど、ほんの十数年前のことなのになかなかはっきり思い出せないんです。それでもなんとかみんな記憶を掘り返し、大陸を渡って。そのときに、こういうことは自分たちだけで懐かしむんじゃなくてなんでもいいからかたちに残そう、とみんなで絵を描いたんです。帰国後、絵は展覧会、絵本と衆目を集めた。そんな流れで、赤塚さんや森田さんが、ポツリポツリと過去を語る漫画を描き始めて。今回の漫画もその流れなんですよ。