「わたしのマンスリー日記」第22回「自治を生命(いのち)の若人は 強き『力』に生くるかな」
昨年9月、母校の松本深志高校で行った記念講演「人間は人間を幸福にできる!きっと―裃を脱いで」の報告です。タイトルは深志高校校歌の一部です。この一節に母校の魂が込められています。私事ですが、少なくとも昨年2024年はこの思いで乗り切りました。1月の末コロナに感染し、それこそ死ぬ程の苦しみを味わいました。その中、『ALS 苦しみの壁を超えて―利他の心で生かされ生かす』の執筆に追われました。
母校の松本深志高校からとんぼ祭の記念講演を依頼されたのは3月のことでした。仲介役を担っていただいたのは、東京都立大学の第10代総長を務められた荻上紘一先生でした。
老人のALS闘病記などが現役の高校生にどれほど伝わるかもわかりませんでしたし、それにまつわる不安もありました。
高一の秋のことでした。とんぼ祭記念講演に某国立大学教授で某有名歴史学者を招いて講演を聴いたことがありました。その先生には申し訳ないのですが、講演内容は全く理解できませんでした。半分寝てしまったので理解できないのは当然ですが、他の友人たちも大同小異でしたので、やはり高一の私たちには伝わらなかったということでしょう。
「大学の先生というのは難しい話をするのだなあ」という印象が残っただけで、伝え考えさせる言葉は皆無でした。そんな苦い(?)経験をしていましたので、今回はできるだけ高校生に伝わり考えてもらえる内容と構成を考えました。
それに加えて、今囘の講演には発声できない自分が人前で話すという前代未聞(!)のハンディがありました。しゃべれないハンディを克服するには、講演内容を原稿に起こし、それを代読してもらうしかないのですが、通常のパソコンの数十倍の手間暇のかかる「伝の心」という特殊なパソコンで打ち込む作業は壮絶を極めました。
9月26日、会場になった新体育館は全校生徒900名の他、教職員を入れると1000人近い聴衆で埋まりした。原稿はボランティアとして、放送愛好会から女子1名(1年)、演劇部から女子2名(3年)、放送委員会から男子2名(2年)の5名が代読してくれたのですが、それを聞き流しながら「この企画は失敗ではなかったか」という思いが募ってきました。
もともと原稿は実際に手にして目で追って読んでもらうことを前提に書いたものです。そのために一人ひとりに印刷して配布してもらう腹積もりでした。しかし、このペーパーレスの時代にそれはないということで、全員に配信し、当日会場で閲覧したい生徒は自由に読むことができるようにしたとのことです。その結果当日は代読者の音声のみに頼る講演になってしまいました。
「これじゃとても伝わらないな」――その思いが募りました。それに加えて、広い体育館だったために音響効果が悪かったことも、不安を募らせた要因でした。確かに居眠りしている生徒はいませんでしたが、胸中は関ケ原で敗北を喫した石田三成さながらでした。日頃落ち込むことのない私ですが、この時ばかりは事態をどう受け止めたらいいかわからず、悶々とした日々が続きました。
このような境地を救ってくれたのは、石川裕之校長先生による「校長便り」(行く手遙かに)でした。先生は私の講演をコメントを添えて紹介し、講演の全文をHPにアップしてくれたのでした。
その後感想が届きましたので紹介します。氏名を記してある感想文については、いずれも本人の了解を得ています。ゴシック体の文は特に印象に残った文章、【】は私のコメントです。なお、感想の個性を生かすために、語句表記の統一は行っておりません。