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和田 竜さん(作家)

その頃は映画監督になりたかったとか

 高校一年生の頃です。さっき述べた考えの延長で、映画監督なら仕事している時間も楽しそうだな、と。これだけは当時から一貫して変わらないんですが、″自分の24時問を楽しい状態に置きたい″というのを常に目標にしていたんです。そこで浮上したのが「映画監督」だった訳です。

大学受験も映画監督を志して選ばれたとそうですね。

 そうですね。その当時既に、「映画会社が現場で人材を採用しなくなった」という話を人づてに聞いていて、それならばと、まずはテレビ局に入社してディレクターになり、そこから映画業界への活路を開こう、と考えて。で、その頃しきりに週刊誌などの各種メディアが「テレビ局に入るなら早稲田大学政治経済学部」というのを報じていたんです。それで、「よし! それなら早稲田の政経に行くぞ」と決めて。

大学に入っても、その想いは変わらずに

 志は変わりませんでしたが、いろいろな事に気づかされることはありましたね。まず、注目したのは倍率の高さ。なにしろ当時の早稲田大学には、平均的な他大学の10倍もの学生が通っていたんです。これは、マスコミに人社できる確立は高いとは言えないな、と、やや拍子抜けする思いがしました。この悪い予感は的中し、卒業後に採用を目指して受けた全てのテレビ局に落ちてしまってね。これには流石に、これからどうしたらいいのか……、とすっかり意気消沈しましたが、その後、なんとか番組制作会社に滑り込むことができて。業界のキャリアをスタートさせることになったわけです。

テレビ業界ではどのような経験を

 それはもう、死ぬかと思いましたよ(笑い)。例えば、ドラマ制作で言えば、放送期問は3カ月あまりですが、実際の制作現場では、そのひと月前に準備が始まるんです。制作に関わるその4カ月の間、帰宅してゆっくり睡眠を摂れるのは、せいぜい週に1日です。これが予想外にキツかった。なにしろ「24時間楽しめる仕事」を考えて映画監督を目指してきたわけで、今、ここにいる自分は、本当に楽しめているのだろうか、そんなことを日々、自問していましたね。

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