和田 竜さん(作家)
制作会社で3年を勤め、その後新聞社に
どんな理由であれ最低3年くらいは勤めないと辞め癖がついてしまう、そう考えたんですね。それに、「仕事というのは始めたばかりの右も左も分からないときほどつまらなく感じるものだ、それだけで判断して辞めてしまうのは違うんじゃないか」とも考えて。ある程度忍耐して、しっかりその業界を見極めようとしたんですね。
執筆活動をはじめるきっかけは
実は大学時代から脚本を書く機会がちょこちょこあって、シナリオの学校にも通っていたんです。それであるときふと、「シナリオライターをやってみようかな」と思ったのがきっかけで。この思いは、その前に務めた番組制作会社にいたときからで、AD業務をこなす傍らにも、「脚本家」というワードは定期的に頭に浮かぶようになっていて。そして、務めて3年が過ぎる頃、映像を撮って演出するディレクターよりも、ドラマの根本を作る脚本家のほうが面白いんじゃないか、とついに心が固まったんです。
いよいよ本格的に執筆活動に入られます
ちょうど28の頃ですね。新聞記者として仕事をこなしながら、執筆、賞に応募する毎日が続いて。両立は大変でしたが、創作活動をしない生活は、もう想像するだけでなにか薄ら寒いような感覚さえありました。張りのある人生を送るためにも、日々の執筆は欠かせないものになっていたんです。ですから、応募先の審査員との間に、ときに絶望的な感性や好みのズレを感じても、心の執筆の灯は決して消えなかった。幸い、アイデアは1年にひとつ二つ浮かんだので、それを入念に形にして仕上げては送り続けて。そんな暮らしが5年も続いた頃、ついに待望の報せが舞い込んできたんです。歴史をモチーフに書き上げた『忍ぶの城』が第29 回城戸賞を受賞して……。嬉しかったですね。
お名前のルーツは坂本竜馬だとか
大学1年の頃、少し時間があったんで、どんなものかと司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んだんですが、そのままハマってしまって(笑い)。それまでは読書はさして好きでもなかったんですが、それからは司馬遼太郎を中心に歴史物をどんどんと読みふけってね。結果として脚本家としての大きなモチーフのーつになっています。