「わたしのマンスリー日記」第23回「ウォーリーをさがせ!」―勇気の波紋

ウォーリー賞

 授業後届いた感想文を紹介します。

ウォーリー谷川先生へ 
たかぎいくみ
 
わたしは、土曜の3時間目の生かつのグループはわたしと池田さんと今村さんとさいとうさんとかじいさんとミックスグループという名前にしました。そのチームでやりました。そして、しゃしんがはってあるがようしをくれました。カメラをみんなに1人1つずつくれました。とてもうれしかったです。いろいろなところにいきました。ミックスグループは4まいのはじめでおわってしまいました。でもしょうじょうをもらいました。しょうじょうにはこうかいていました。 
ウォーリー賞 
 高木育美さん
 
あなたはチームのみんなと力を合わせて学校探検ができましたフィルムのないカメラを片手にむずかしい場所もよく発見できました。目的地を目指してつき進んでいくひとりひとりのすばらしい目とカンの良さにはウォーリー谷川も驚きをかくせません。これからも力を合わせてがんばってください 。
平成三年十一月三十日・ ウォーリー谷川
とてもうれしかったです。

「目当て」を持って生きる
 
 生活科が日本の教育界に投げかけた最大の一石は、一人ひとりがそれぞれに目当てをもって自らの学びを作り上げていくことの大切さでした。ウォーリーの授業で子どもたちが夢中で活動に取り組んだのも、一人ひとりが「この写真どこで撮ったの?」という明確な目当てを持てたからでした。
 当時私は、この生活科の思想は将来の日本の教育を変えるだけでなく、人間の生き方を問い直すことになるだろうと考えていました。そしてこの生活科の趣旨は老人にこそ生かされるべきだなどと主張して、世を驚かせました。今にして考えると当時の私の主張は正しかったと思います。
 ALSを発症してちょうど7年が経ち、今年の5月にはALSを宣告されてから6年の歳月が経過したことになります。絶望のどん底に突き落とされながらも、「本を書く」という目当ての元本を書き続けてきました。この生き方を支えてくれたのは、生活科魂以外の何物でもありませんでした。
 判田小の6年生と交流していた当時は、石井先生とは面識がありませんでした。初めてお会いしたのは2年後の2023年6月、神奈川県で開催された日本生活科・総合的学習教育学会でした。写真はその時のものですが、「初めて会った気がしない!」と言っていましたが、私も同感でした。
 昨年11月、1通のメールが届きました。

「今日は、生活科・総合的な学習の時間の協議会の全国大会で岩手県に来ています。昨日が移動日でして、その移動の間、谷川先生の最新刊を拝読させていただいていました。一気に読み進ませてくれる先生の巧みなご文章と、内容の重厚さ、そして何より谷川先生がこの文字を1文字1文字、気の遠くなるような時間を費やして書き綴ってくださったことを思うと、人目も憚らず涙があふれ出て、何度も涙で文字が読めなくなってしまいました。
子どもたちとの出会いも本文の中で何か所も取り上げていただき、子どもたちの存在が谷川先生に少しでもお力となっていたのであれば、こんなにうれしく、すごいことはないと再認識させていただきました」

 勇気の波紋を広げてくれたのは、石井真澄先生、あなたですよ!

谷川 彰英 たにかわ あきひで 

1945年長野県松本市生まれ。作家。教育学者。筑波大学名誉教授。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。千葉大学助教授を経て筑波大学教授。国立大学の法人化に伴って筑波大学理事・副学長に就任。退職後は自由な地名作家として数多くの地名本を出版。2018年2月体調を崩し翌19年5月難病のALSと診断される。だが難病に負けじと執筆活動を継続。ALS宣告後の著作に『ALSを生きる いつでも夢を追いかけていた』(2020年)『日本列島 地名の謎を解く』(2021年)『夢はつながる できることは必ずある!-ALSに勝つ!』(2022年、以上いずれも東京書籍刊)、『全国水害地名をゆく』(2023年、集英社インターナショナル)がある。

(モルゲンWEB20250210)

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