「わたしのマンスリー日記」第24回 ヘルパー・ネーミング大作戦

90パーセントはヘルパーさんの力

 今私の体で動かせるのは口の周りの筋肉と眼球だけです。それに加えて人工呼吸器を付けているために発声もできません。こんな状態でどうやって生きていけるのか? と我ながら疑問に思うこともあります。
 しかしそんな状況を乗り越えて、2018年に発症してから7年間生きてこられたことは紛れもない事実です。患者としての私の命を支えていただいたのは、言うまでもなく担当医をはじめとする医療スタッフの皆さんのお陰ですが、生活者としての私の命を支えてくれたのは妻をはじめとする家族と介護ヘルパーに代表される介護スタッフの皆さんでした。
 現在私は1日24時間中21~22時間の介護サービスを受けています。介護制度の歴史については詳細を知りませんが、3~40年前と比べると飛躍的な進歩を遂げていると言っていいでしょう。ともかく私の行動の90パーセントはヘルパーさんの力によって支えられているのです。

ヘルパー・ネーミング

 これまでお世話になってきたヘルパーさんは数十名に及びます。介護の現場はperson to personの世界ですから、すべてが円満に事が運ぶわけではありません。介護の技量の問題の他に、いわゆる相性の問題があります。中には喧嘩別れ同然に辞めて行った人もいます。とにかく介護界も人材不足で、どの事務所も頭を悩ましているのが実情です。
 ですから介護の実態を美化するつもりはありません。さまざまな問題を抱えています。しかし、そのような負の部分を抱えながらも、介護の現場にはそれをはるかに上回る感動があるのです。

ヘルパー・ネーミング

 さまざまなヘルパーさんと接しながら、それぞれのヘルパーさんの良さ・ポジティブな面を受け止めようとしてきました。その結果でしょうか、特にお世話になった・なっているヘルパーさんに感謝の意味を込めて勝手にネーミングするようになりました。もちろん本人の承諾を得たわけでもなく、以下紹介する方の名前はいずれも仮名です。

【我が娘(こ)ヘルパー】

 自宅療養を始めた頃、日勤で週3日も入ってくれていた若い女性ヘルパーさんがいました。専門的な技量もさることながら、それ以上に細かいところまで目配り・気配りできる文句のつけようのないヘルパーさんでした。
 妻も大のお気に入りのヘルパーさんでしたが、家庭の事情でわずか数か月で辞めることになってしまいました。最後のお別れの日、お礼のメッセージをプリントアウトして渡しました。すると、彼女はそれを読んで涙ながらに、「私も実のお父さんのように思ってお世話してきました」と語ってくれました。
 言葉は不要でした。私の目からも涙が溢れました。

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