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海南 友子さん(ドキュメンタリー映画監督)

 海南友子さんはドキュメンタリー映画監督である。インドネシアの戦争被害をテーマにした『マルディエム 彼女の人生に起きたこと』でデビューすると、気候変動の脅威を描いた『ビューティフル アイランズ 〜気候変動 沈む島の記憶〜』 でアジア映画基金AND賞を受賞。また東日本大震災後をうけて、自身の出産と放射能をテーマに『A Lullaby Under the Nuclear Sky』を世に送り出すなど社会問題に鋭いメスを入れ続けるが、そのルーツは幼い日の父の教えにあった。現在(2025年)はニューヨークのコロンビア大学に留学、異国の地で子育てをしながらも社会を正視し続ける俊才の十代を訊いた。

小さい頃からかなり活発なお嬢さんだったとか

  そうですね。幼い頃、父がよくいろんな場所に連れて行ってくれたんです。エンジニアだった父は若い頃は学生運動をしていた世代でね。社会に対する熱いおもいをどこかに抱いていたんだと思います。私を連れて広島や沖縄を旅しては太平洋戦争の話を聞かせてくれたり、北海道を巡ってはアイヌの歴史を教えてくれたり……。そうして見聞きしたすべてが私の中に溶け込んで、ものの見方や行動力の原点になっています。高校生ぐらいになると、新聞を読んで興味を惹かれたテーマを見つけては現地に出かけるようになって。見学が難しい場所でも交渉して必ず見せてもらっていましたね。

ドキュメンタリーに傾倒するきっかけは

  高校生になったばかりの頃、父に部屋に呼ばれたんです。いつにない雰囲気に緊張していると、父は「5年先、10年先にどんな自分になりたいと思ってる?」と問いかけた。そして、「将来のビジョンを描きながら勉強や行動を深めていくと、とても現在を有意義に過ごせるよ」とアドバイスをくれて。それ以来、節目のときには必ず数年後の自分を考察する時間を持つことにしているんです。大学を卒業してNHKに入局したとき、また退職を決めとき時にも、欠かさず数年後の自分をノートに書き綴って。父は他にも「今日何をすると未来に繋がっていく」というような内容の詩集を贈ってくれて、こちらも時々見返して心に刻んでいますね。

大学は日本女子大学に。どんな学びを

  中学から付属校だったのでそのまま上がって。当時、女性の社会進出はまだ黎明期でね。女子大学もその多くが「良妻賢母」というイメージを持たれていたけれど、その点、日本女子大学は「女子が仕事をもつ」「働いて生きていく」というテーマの授業がとても多かったのを憶えています。第一線で仕事をする女性陣の講演会も数多く開かれていて、将来に対してモチベーションを高く保つことが出来たのはありますね。

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