「わたしのマンスリー日記」第25回 妻・憲子の死

 庭の桃の花が満開でした。憲子はこの美しい花に見送られて旅立っていきました。葬儀後の10日余りは、何をどう考えていいか皆目わからずただ落ち込んでいました。空気の抜けた風船状態でした。何も手に着かないのです。加えてもう一つ譬えれば「糸の切れた凧」同然でした。自分の力ではどうにもならない絶体絶命の危機でした。
 このまま死んだ方がいいとさえ思いました。しかし、葬儀に飾った遺影や弔問・会葬に駆け付けていただいた皆さんと流した涙を思い起こすとそれはできません。「彰ちゃん、頑張るんだよ! 一緒に生きて行こうね!」-従兄妹の村山千代子ちゃんの声が耳から離れません。
 それから全国からたくさんの励ましのメッセージをいただきました。どのメッセージも涙なくしては読めないものばかりでした。ありがとうございました。
 そうこうするうちに、私の気持ちも整理がついてきました。最大の要因は、家族を始め医療スタッフ、介護スタッフの皆様の全面的なサポートを受けて、自宅での執筆活動を継続する目処が立ったことでした。私にとっては執筆活動が命なのです。その道が開かれたことで勇気が湧いてきました。
 会葬御礼で述べた『ALS 生きる勇気の波紋』の執筆も再開しました。とても無理と諦めていた9月に開催されるエンジン01文化戦略会議のオープンカレッジ、エンジン01in加賀温泉(石川県)への参加を決意し、2つの講座の準備を開始しました。

 期せずして3月に愛知県に住む長男家族が帰省した時の1枚です。これが家族で撮った最後となりました。
 この連載ももう無理かなとも考えましたが、憲子への思いを胸に続けることにしました。今後もご愛読のほどよろしくお願いします。

谷川 彰英 たにかわ あきひで 1945年長野県松本市生まれ。作家。教育学者。筑波大学名誉教授。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。千葉大学助教授を経て筑波大学教授。国立大学の法人化に伴って筑波大学理事・副学長に就任。退職後は自由な地名作家として数多くの地名本を出版。2018年2月体調を崩し翌19年5月難病のALSと診断される。だが難病に負けじと執筆活動を継続。ALS宣告後の著作に『ALSを生きる いつでも夢を追いかけていた』(2020年)『日本列島 地名の謎を解く』(2021年)『夢はつながる できることは必ずある!-ALSに勝つ!』(2022年、以上いずれも東京書籍刊)、『全国水害地名をゆく』(2023年、集英社インターナショナル)がある。

(モルゲンWEB20250507)

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