
鹿島田 真希さん(小説家)
その当時、物書きを目指す意識は既に
その頃はまだそういった考えは一切ありませんでしたね。ただ、実は中学生時代から1年に2、3作くらいのペースで短い詩や小説のようなものを作っては、友達に披露するというようなことはしていて。
文章を書くことは得意だったのでしょうか
不得意というのはもちろんありませんでしたけど、 得意という程でもなかったですね。小さいときから授業で作文を書いても、クラスの代表になるみたいなことはありませんでしたし。ただ今にして思えば、私の文章は個性的過ぎて優等生的な文体ではなかったので受け入れられにくかったというのはあったのかもしれません。修学旅行での話なんですが、京都をテーマに読書感想文を書くという課題があったんです。私は迷わず三島由紀夫の 「金閣寺」を選び提出しましたが、先生の感想にはほとんど何も記されていなかったんですね。当時にしてはませた題材と内容だったと記憶していますし、担当の先生も対応に困ったのかもしれないですね(笑い)。

大分個性的な人物として認識されていたと
そうですね。音楽の授業で自由課題を課されたときなんかは、特に歌の技術に自信があるわけでもないのにオペラを真似て歌ったりだとかしてね。そういう意味では、周りとの温度差を考えずに徹底的に自分の趣味に突っ走る性格でしたね。
個性的な学友に周囲の反応は
ちょっと個性的過ぎたこともあってやっぱり友人は少なかったですね。体育の授業なんかではあぶれる事もしばしばでした。でも相変わらず運動神経は良かったのでスポーツ全般で大活躍していましたけど(笑い)。学校って入学時やクラス換えのタイミングでは必ず「グループを作る」という行事があるじゃないですか。流石にそのときばかりは友達がいないことが急に恥ずかしくなるんですけど、じゃあそれなら友達を作るかっていうと、頑張って群れてまでしたいことがないんですね。最終的にはいつも休み時間にひとりで読書に励んでいました。
当時は、学校生活の強制的な集団生活がひたすらに苦痛で、そんな環境の中でひとり自由に自分の生き方を通そうと好き放題振舞っていました。でも当時から高度な本を読んで、周囲に早熟な印象を与える反面、他人の中で無難に過ごす術を知らないといった稚拙なところも多々あったと今は思います。