
「わたしのマンスリー日記」第26回 亡き妻・憲子への想い(その1)・・・衝撃
◎彰英様
辛い、辛い日々かとおもいます。
私もです。
でも大学院に進むよう勧め、そして、憲子さんの後半生を充実したものにしてくださったこと、きっと奥様は深く感謝しているに違いありません。通夜の席でも、教え子さんたちが口々に憲子さんへの感謝の気持ちを私に聞かせてくれました。
そして、10冊目執筆の意欲も満ちて来ていると伺い、とても安堵いたしました。はい、必ず憲子さんは天国の入り口で彰英さんを待っていてくださいます。お手渡しをお願いします。
10冊目だけでなく、11冊目もと、お土産は多い方が良いです。
私にできることがありましたら遠慮なくおっしゃってくださいませ。良いお子様、お孫様に恵まれて、彰英さんお幸せですね。 合掌。
大井恭子様(従兄妹、千葉大学名誉教授)
恭子ちゃんは私の母の弟の娘、つまり従兄妹です。小さい頃から助け合ってきました。不思議な縁で、私の最初の赴任校だった千葉大学教育学部の教授(英語教育)を務めました。ご指摘のように憲子はたくさんの教え子たちに見送られて旅立っていきました。
11冊目? すでに取りかかっていますよ。ありがとう。
教え子からのエール
◎あまりの驚きで、なんと言ったらよいのか、言葉になりません。
事実なのですね。
その時の先生の事を思うと、体が固まります。
でもヘベレケは、そのことさえも乗り越えようとまた新たな、奥様の遺伝子をも捕らえて、前に進もうとしている。私には考えられません。
なぜその何重もの苦しみからも立ちあがろうとできるのか、ほんとにヘベレケ以外には、そんな生きる道を選べる人間はいないとさえ思います。どれほどおつらかったことか。
私はあちこち連絡をしましたが、とうとう若林君を探し出すこともできずに、春山先生は逝ってしまった。
この前、ご自宅で数十年ぶりにお会いできた時、昔と全く変わらず、笑顔で若々しく、お元気で、飾らず、ヘベレケって先生のことを呼んで、ABA時代の懐かしいお話をしたことが忘れられません。
こうしていても涙が止まりません。
でも時間は、一刻一刻と止まらず容赦なく過ぎていく。前に進むしかないのですね。
ヘベレケ、頑張ってください、なんて絶対に言えないけど、谷川夫人の分まで生を愛してください。私も前に進まなくては、と生きていきます。
引間(和田)幸子様(ABAの教え子)
