
「わたしのマンスリー日記」第26回 亡き妻・憲子への想い(その1)・・・衝撃
◎谷川彰英先生
遅い時間でのメール、失礼します。でも一言でも私の気持ちを伝えたいと思いました。
東書の小笠原君から奥さまの旅立ちの知らせをいただきました。絶句でした。最初何を言っているのか理解できませんでした。『ALS 苦しみの壁を超えて』のあとがきに、先生にとって奥さまは「私の命の司令塔」と書いてありました。奥さまも後ろを振り向き振り向きながら旅だったことでしょうね。辛いですね。
千石雅仁様(前東京書籍株式会社代表取締役社長)(04.04.23.13)
◎谷川彰英先生
メールと会葬御礼をいただきました。ありがとうございます。奥さまの旅立ちには「まさか」という思いでいっぱいでしたが、先生の会葬御礼で奥さまの最期の声かけと先生の生き続けるお気持ちを知ることができ、またまた前を向いて生活する力を私が得ました。10冊目の『ALS 生きる勇気の波紋』の完成をお待ち続けます。
千石雅仁様(04.12.04.14)
東京書籍は私にとっては第2の職場ともいえる存在でした。多い時は週4回ほど王子の東書ビルに通いました。千石社長(当時)はALSを宣告された直後にも東京書籍社長としてお見舞いに来ていただきました。その際「あと2冊は本を出したい」と漏らしたら、「自分の責任でやる」と言われて『ALSを生きる いつでも夢を追いかけていた』(東京書籍、2020年)、『日本列島 地名の謎を解く』(東京書籍、2021年)、『夢はつながる できることは必ずある!-ALSに勝つ!』(東京書籍、2022年)が実現したのでした。
なお、千石社長の前の川畑慈範元社長からは丁重なご挨拶状をいただいたほか、渡辺能理夫現社長には通夜にご足労いただきました。改めて感謝申し上げます。
◎谷川 彰英 様
会葬へのご挨拶をいただきました。涙無くしては読めない水茎に接して、ご返事がしばらく書けずにいました。
たった数回だけお目にかかっただけですが、明るい、しっかりとした、貴兄にはこの上ないご伴侶であったと思っています。かの法師が往生を願った桜の季節、その花園からやさしく見守ってくださっていると思います。
山内芳文先生(筑波大学名誉教授、元図書館長)
梅根悟先生の愛弟子のお一人で、学部生、院生の頃からの大先輩です。苦境に立たされた時にいつも助けていただきました。ALS罹患後も励ましをいただいています。ありがとうございます。
◎先生、釈迦に説法ですが、「神は与え、神はとられる」。その通りだと、つくづく感じます。神は、愛を示してくださるだけでなく、限りなく残酷です。先生のお気持ちはひしひしと感じます。
わたしも死を目の前にしたとき、神がくれた運命を呪いました。けれど、この試練はわたしという存在を神様が見つけてくださった恩寵、神に頭を撫でていただいた徴(しるし)だと、思い上がることにしました。そうしないと生きられなかったから。
でも、今主人を失ったら、わたしもいきる自信がないです。先生の夫婦の縁(えにし)は、そのぐらい深かったですよね……。半身をもがれたのと同じです。どれだけお辛いか。
先生は現代のヨブでいらっしゃいます。世界中の絶望した人々に、岩に刻むように、染みる言葉を残してください。心臓から血が滲み出る苦しみですよね。わかりますよ、先生。だから、人の心をえぐる言葉を残してください。
泣きたいときは、泣いていいんですから。痩せ我慢しなくていいんですよ先生。涙は、気持ちを洗ってくれ、深い眠りに誘ってくれます。疲れたら、たくさん寝てくださいね、先生……。今宵、たくさん泣いた後の、安らかな眠りがせめて先生におとずれますように。
心からのお悔やみとともに……
さかもと未明様(マンガ家・歌手・画家)
未明さんはエンジン01文化戦略会議で知り合った大切な大切な仲間の1人です。難病の膠原病と闘いながらも、バチカンで歌ったりパリで個展を開いたり、それこそ国際的に大活躍のマルチアーティストです。
未明さんご夫妻は2024年バチカンで洗礼を受けられたとのことで、正真正銘のカトリック信者です。「神」については昔学生時代ドイツを放浪していた時ハイデルベルグ大学で神学を学ぶ学生と出会い、彼の部屋で朝まで議論して一定の理解を持ったつもりですが、それ以後まともに学んだことはなく赤面の至りです。
ですが、「神は与え、神はとられる」の意味、何となくわかるような気がします。神は人間の力の及ばない絶対的存在ですからね。それにしても「現代のヨブ」とは、恐縮至極とはこのようなことを言うのでしょう。「世界中の絶望した人々に、岩に刻むように、染みる言葉を残してください。心臓から血が滲み出る苦しみですよね。わかりますよ、先生。だから、人の心をえぐる言葉を残してください。」――何と凄い言葉でしょう!
私は仏門に育った身ですが、苦しむ人々に生きる勇気を与えるという意味では仏教もキリスト教も同じですね。大いなる力をいただきました。ありがとうございます。
