
対話的探究への招待――哲学すること、対話すること 第1部 哲学と対話
「哲学」の誕生
「はじめに」でふれたように、「哲学」という日本語は、西周(にしあまね)が考案した造語です。しかしそれ以前にも、「理学」や「性理学」、「窮理学」、「玄学」、「知識学」など、様々な訳語が提出されていました。西その人の訳語も、最終的に「哲学」に落ち着くまで、「希哲学」や「希賢学」、「ヒロソヒの学」、「ヒロソヒ」、「斐鹵蘇比ヒロソヒ」と変転しました。西以前の翻訳の試みを前史として概観したうえで、西の奮闘の軌跡を辿ることにしましょう。
「哲学」に対応するヨーロッパ語――philosophia(ラテン語)やfilosofia(ポルトガル語)、filosofie(オランダ語)――は、16 世紀末から 17 世紀初めにかけて来日したイエズス会の宣教師たちによって、日本へもたらされました。『サントスの御作業の内抜書』(1591年)という現存する最古のキリシタン資料には、「ヒィロゾフィア」(哲学)や「ヒィロゾホ」(哲学者)というカタカナ表記が見られます。また『拉葡ラポ日ニチ辞典』(1595年)――約3万語のラテン語にポルトガル語と日本語の対訳を付けたもの――には、「Philosophia」(哲学)と「Philosophor」(哲学者)という項目があり、それぞれローマ字で「学文の好き、あるいは万物の理を明らむる[明らかにする]学文」と「フィロソフィアという学文をする、あるいは、かの学者のごとく問答する」と解説されています1。イタリア人宣教師のジュセッペ・キアラ(1602-85)は「ヒロソヒヤPhilosophia」を、「万物の理を明らむる」学と定義し、「知恵を磨くための問答の学である」という説明を加えています2。
ここに登場する「学文(学芸)の好き」という言葉は、「知」(sophia)に対する「愛」(philia)というギリシア語の原義(philosophia)に対応しています。「知」を「学文」、「愛」を「好き」と置き換えれば、「学文の好き」という日本語になるからです。
また「万物の理を明らむる学文」という定義は、「理」の究明という点で、「理学」と「性理学」という後年の訳語と合致しています。西とともに蕃書調所(江戸幕府の洋学研究機関)に勤めた津田真道は、『性理論』(1861 年)という本を、また中江兆民は『理学鉤玄』や『理学沿革史』(ともに1886年)という本を執筆しています。いずれも哲学関係の著書です。
「理」は、物事のすじめ、すじみち、道理を表わす、中国の伝統的な概念です。宋学の登場とともに「理」は、世界の普遍的な原理や宇宙万物の存在根拠・法則を表わす、儒学の中心概念になります。宋学を大成した朱熹(朱子)はこの概念で、個々の現象(気陰陽)の存在根拠・原理を言い表しました。そのため宋学は、「理学」や「性理学」とも呼ばれていました。
1 藤田正勝『日本哲学史』昭和堂、2018年、38頁。ただし表記は現代仮名遣いに改めてあります。
2 同書、35-6頁。ただし表記は現代仮名遣いに改めてあります。なおキアラは、幕府の厳しい取り調べを受けて棄教し、その後は岡本三右衛門という日本名を名乗ります。