
対話的探究への招待――哲学すること、対話すること 第1部 哲学と対話
週末にはダールベリ家の自宅を訪れました。家族とともに生活した前半期は、家族ぐるみで交流しました。夕食に招かれて、ガラス張りのダイニングルームでスウェーデン料理と会話を楽しみました。夏至祭も一緒に祝いました。ダールベリ家の居宅をとり囲む広大な敷地を散歩しました。森の中へ分け入って、子どもたちとキノコ狩りを体験したこともあります。さらにダールベリ家では5頭の馬を飼っていて、子どもたちとともに乗馬を体験しました。ダールベリ家の一人ひとりは、筆者の家族を温かく迎え入れ、歓待してくれました。そのおかげでわたしたちは、スウェーデンの暮らしと文化について生きた経験を積むことができました。

半年後に家族が帰国してからは、単身でダールベリ家を訪れるようになりました。カーリンとは職場のボロース大学でもときどき顔をあわせました。たがいの近況を尋ねあい、スウェーデンの生活と社会制度、その背景にある歴史や文化について意見交換しました。また彼女の関心に応じて、日本での哲学や現象学の展開、その文化・社会的背景なども話題に上りました。カーリンの自宅では、いつものガラス張りのダイニングルームで、夫のベンクトも交えて、食卓を囲みながら話しました。原子力発電やエネルギー政策を話題にしたこともあります。カーリンは原発に反対、ベンクトは賛成ということで、議論は白熱しました。ただその議論は、真剣ながらも、ユーモアにみちていました。カーリンとベンクトは、たがいの考え方の違いを心から楽しんでいました。笑顔で議論が進められるのです。そこには日本での原発論争と異なった風景がありました。

筆者と話し合うときも、カーリンは同じスタイルをとりました。ある話題について語りあっていると、たがいの意見の食い違いが浮き彫りになることがあります。そんなときカーリンは、「次回はそれについてディスカッションしよう!」と口にします。「ディスカッション」と聞いて、「討論」や「議論」を連想したため、筆者は当初、かなり身構えていました。自分の主張と論拠を十分に練り上げ、隙のないものに仕上げてから論戦に臨まなければならない。さもないと鋭い批判を受け、論駁される。そのように想定していたのです。

しかしカーリンの「ディスカッション」は、そのようなものではありませんでした。筆者がそれまで経験してきた「討論」や「議論」とは、まるで違っていたのです。
第一に、日本社会では、政治問題や社会的課題について意見が一致しないと、それだけでかなり気まずいムードになります。人間関係に亀裂が走ることさえあります。それと対照的にカーリンは、相手が自分と異なった考えをもっていることを当然のことと受けとめます。一人ひとりは、それぞれ異なった環境や境遇のもとで、異なった経験を積んできている。考え方が違って当たり前だと考えるのです。また彼女は自他の見解の相違を喜び、楽しみます。複数の視点が示されることで、ものの見方に奥行きが生まれるからです。
第二に、カーリンは論拠を問いただすというより、むしろ当のアイデアがどうやって生まれ育ったか、発想の由来と背景に光を投げかけます。それに応じて筆者は、自身の経験や学びをふり返りながら、言葉を紡ぐことになります。
第三に、彼女は質問を投げかけることで、相手の考えの輪郭を描こうとします。自分が思っていること、考えていることを率直に表明すれば、それに対して問いが発せられます。これに応えることで、自分の考えが次第に明確にされていきます。事前に自分の見解を固めてから議論に臨む必要はないのです。なぜ自分はそのように考えるのかという理由(論拠)も、共同作業を通して明らかにされていきます。
このようにカーリンの「ディスカッション」では、相手の発言を聴いて(受けとめて)考える、問いかけを受けて考えるというスタイルで、探究が進められます。「問い」が共有され、相手の言葉に「聴く」という仕方で、共同の探究が進められるのです。なるほど彼女は「ダイアローグ」という言葉を使いません。しかし彼女が「ディスカッション」と呼び、日常的に実践しているもの、それこそまさしく「対話」(dialogue)ではないか。そう考えると得心がゆきました。これが「対話」との出会いでした。
その後もカーリンとともに実践を積み、筆者は「対話」の定義を深化させていきました。ひとたび「対話」という視点を身につけると、それが生活のあらゆる場面にみられることに気づくようになりました。スウェーデンで出会った人びとは、自分と異なる意見に開かれていました。他者の見解に関心を寄せ、その由来や背景を知ろうとしていました。多様な見解を照らし合わせることで、事柄を立体的に浮かび上がらせようと試みていました。日常会話のなかで問いが立ち上がり、相手と自分の違いを楽しみながら、対話が進められていました。先駆的な社会保障制度と環境政策に象徴される「緑の福祉国家」は、「対話する文化」に支えられていたのです。職場や友人宅で、パブで、美容室で、さらにタクシーの車中で、筆者は「対話」のレッスンを積みました。それを通して筆者は「他者との対話」という試みに魅せられていきました。