
対話的探究への招待――哲学すること、対話すること 第1部 哲学と対話
やがて国外で研究に従事するチャンスが訪れました。北極圏へのアクセスを確保して、オーロラを見に出かけたい。この願いを胸に、渡航先を北方の国々に絞りこみました。
そのなかから、なぜスウェーデンを選んだのか。障害のある息子とともに生きていく足場を築くためでした。それが渡航先にスウェーデンを選んだ、もうひとつの理由でした。「緑の福祉国家」と呼ばれる国で、家族とともに生活することで、障害のある息子と共に生きる希望をみつけられるのではないか。そのような予感と期待に背中を押されて、筆者はスウェーデンへ発ちました。
待っていたのは、障害者と共に生きる社会でした。いや、障害者だけではありません。スウェーデン社会では、子ども、女性、移民という「他者」たちと共に生きる挑戦が進められていました3。いくつかの福祉施設を訪問し、障害のある子の親と交流することで、得がたい学びを積みました。それとともに筆者は「障害」の理解を新たにし、「障害とともに生きる」というチャレンジを受けとめなおしました。それを通して、障害のある息子と共に生きていく足場が固められたように思います。大きな転機となる一年でした。
◆ 東日本大震災からなにを学ぶか
渡航先をスウェーデンに定め、渡航の最終準備を進めていたとき、東日本大震災が起こりました。それによって渡航をひと月ほど延期せざるをえなくなりました。
東日本大震災の被災地は、筆者にとって身近で、親しみのある土地です。1987年に大学に入学してから、2006年に静岡へ引っ越すまで、筆者は仙台で暮らしていました。妻は岩手県宮古市の出身です。福島市には2005年から現在まで、授業のために毎年足を運んでいます。
東日本大震災では、親類や恩師、友人、知人など、多くの知己が被災しました。自分も、5 年前に引っ越していなければ、被災していたはずです。とても他人ごととは思えませんでした。にもかかわらず、自分は被災を免れ、安全な場所に身をおいている。そして今や、東北の仲間たちを残して、日本を離れようとしている。ある種の罪責感を抱きながら、後ろ髪をひかれる思いで、スウェーデンへ出発しました。
被災者や避難者の苦難は測り知れません。現地で力を尽くすことができないならば、せめて当事者たちのおかれた窮状を共有し、自分なりに問い、考えることにしよう。東日本大震災という大惨事から、わたしたちはなにを学ぶべきなのか。いかなる基本理念のもと、どのように復興を進めたらよいのか。これらの問いを携えて、スウェーデンではウェブ上で情報を収集し、日本から多くの新刊書を取り寄せました。
ボロース大学の同僚たちからは、多くのお見舞いの言葉とともに、いくつかの問いが寄せられました。福島第一原子力発電所事故の原因はどこにあるのか。これまでの原子力政策をどう評価し、今後はどのようなエネルギー政策を打ち立てるのか。
3拙著『死とともに生きることを学ぶ 死すべきものたちの哲学』第2版、ポラーノ出版、2023年、6章 森と湖の国の「福祉」。