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柴 幸男さん(劇作家・演出家)

高校時代は演劇部に所属されます

 もう、ひたすら脚本や台本を書きましたね。学年別の演目もあったので演者にまわる機会もありましたが、役者の魅力に心を奪われることは一度もありませんでしたね。「自分の作品が周囲に絶賛された」「作品が受賞した」というようなことはなかったけど、とにかく脚本や台本を書くことが好きでした。三谷さんへの傾倒も変わらずで、大学も三谷さんと同じ日本大学芸術学部放送学科を選択したんです。とはいえ、さすがに作品の物真似の方は高校入学時には限界を感じて、独自の路線に切り替えていましたけどね(笑い)。

東京の芸術系大学への進学にご両親は

 実は三人いる姉がみんなかなり自立心旺盛だったんです。当時既に三人とも海外に居住していて、それもあってか父は僕の”芸術学部”という進路にずいぶん反対していましたね。母は割と理解を示してくれて応援してくたんですけど、サラリーマンだった父には不安定な演劇の世界で生きようとする僕の人生設計は、なかなか理解しづらかったのだと思います。僕自身は「とりあえず30歳までは無我夢中でやってみよう。そうすれば必ず見切りをつけるタイミングに気づくはずだから、その時が来たら考えればいい」と思っていて、また、「案外やっていけるんじゃないか……」なんて楽観的にも感じていたんですね。

脚本家を目指す強い意思をお持ちだったんですね

 そうですね。ただ、日大芸術学部を卒業しても実際に芸能の専門分野に就職する人はそれほど多くはないんですよ。一般の会社に就職する人も多い。一筋縄にはいかない世界ですし、僕も初めから演劇の脚本家だけを目指していたわけではなかったんです。それで大学卒業後、一旦はテレビ局に就職したんですが、どうしても会社と演劇の二足の草鞋を履くのが難しくて。それで結局、テレビ局を退社して劇団に所属を決め、演劇に集中することにした。その時思ったのは、「もし脚本家がダメでもプロデュースにまわればいい」ということで、「大好きな演劇になんらかの形で関われればそれでいい」というのを軸に生きていこうと考えて。

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