「わたしのマンスリー日記」第27回 亡き妻・憲子への想い(その2)・・・ それでも生きる!

谷川先生
 大分 石井真澄です。何も知らずに、本当にごめんなさい。今、メールを拝見させていただき、驚きとショックで、放心状態です。
一つ言えることは、奥様は、奥様の魂は、ずっと谷川先生のおそばにいらっしゃるということです。谷川先生をこれまで以上にお近くで、見守ってくださっています。そう思うのです。谷川先生の奥様への愛溢れるご挨拶文を拝読させていただき、そう確信しました。

 この様な状況の中、ご執筆を進めていかれようとされる谷川先生のお姿は、私たち後輩のお手本です。
 今年、私は学校を異動しまして、(大分市立西の台小学校)そこで、教頭兼2年5組の担任をしています。教員不足のために、教頭に加え学級担任ということで、毎日目の回るような忙しさの中、メールのチェックも次の早朝という状況でした。本当に申し訳ありません。
 でも、谷川先生がこうして前を向いて進んでいかれようとしているお姿に、私もこんなことで弱音を吐いてはいられない。事情は何であれ、もう一度、担任をさせていただけるという嬉しい状況をしっかり楽しみながら頑張っていかないと奮い立たされました。
 谷川先生がお辛い中、頑張られていらっしゃるお姿に、私も前進あるのみと思わせていただいています。
 大分からではありますが、いつもいつも谷川先生を想っております。
                            石井真澄先生(大分市立西の台小学校教頭)

 冒頭の「大分 石井真澄です」のひと言ですべてが通じ、涙が溢れました。先生は大分市立判田小学校在任中に6年生との命の交流を実現してくれた、文字通り命の恩人のような先生です。子どもたちからのストレートで熱い心のこもったメッセージにどれだけ涙を流したことでしょう。そうです、私は判田小学校の6年生の児童たちに救われたのです。
私は子どもたちに「皆さんが高校生になるまでは頑張る」と約束しました。今やその子らも高校1年生に成長しています。
これが「生きる勇気の波紋」のきっかけとなったのですが、その裏には奇跡とも言えるドラマが隠されていました。それについては次回作『ALS 生きる勇気の波紋』に書きますのでお待ちください。

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