「わたしのマンスリー日記」 第30回 加賀遠征―「史上最大の作戦」(The Longest Day) その1「ようやくあえた」―涙の初対面!!

43時間の「史上最大の作戦」(The Longest Day)

 最愛の妻・憲子を亡くした時、これで自分の人生は終わると覚悟を決めました。妻は生前「もし私が先に逝くことになったら施設に行くんだよ。真理ちゃんだって2人の子どもを育ててるんだからね」と何度も言うようになりました。真理ちゃんとはすぐ近くに住む次男の嫁・真理子さんのことです。

 その時は冗談半分に聞き流していたのですが、今考えるとその時すでに憲子は死期を察していたと思えてなりません。そして悲劇は突然襲いました。最大の理解者であり支援者である妻を失って、私は絶体絶命の危機に追いつめられました。本当に何をどうしていいか皆目わからない絶望の渦の中でもがきましたが、自分の力ではどうにもできないもどかしさが苦しみに拍車をかけました。

 その危機から救ってくれたのは家族でした。今の私から執筆活動を奪ったら何も残らないことを理解してくれて、24時間のヘルパーのシフト態勢を敷いてくれたのです。これで執筆活動の継続が可能になりました。これ以上の親孝行はありません。

 実は年が明けて、2025年9月に石川県加賀市で開催されることになったエンジン01文化戦略会議のオープンカレッジに参加しようと心の準備をしていたところでした。でも妻の死によってとても無理と言わざるを得ない状況に追いつめられました。

 私は断念しました。エスコート役の妻がいない上に、加賀市まで介護タクシーで往復するとなると莫大な費用がかかることは必至でした。ところが葬儀から10日ほど経ったある日、真理ちゃんが来て「お父さん、お金は心配ないですよ」と言ってくれたのです。涙がこぼれました。どこまで好い家族なんだ!──と思いました。

 それから加賀遠征の戦略に取りかかりました。昔、『The Longest Day』という映画を観たことを思い起こしました。第二次大戦末期の1944年6月にナチスドイツに対して連合国軍がノルマンディ上陸作戦を敢行したことを映画化したもので、日本では『史上最大の作戦』と翻訳されて上映されました。私の加賀遠征はThe Lnongest Dayであり、史上最大の作戦でもありました。

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