「対話的探究への招待――哲学すること、対話すること」第1部 哲学と対話

「哲学する」生き方

 対話を通して哲学することを、ソクラテスは神から与えられた使命と受けとめていました。それに応じて法廷でも、情状酌量や刑の軽減を求めたりすることなく、哲学する態度を最後まで貫き通します――戦場で兵士が自らの持ち場を守り続けるように。裁判員たちの目には、それは挑発的・不遜な態度に映ったと思われます。有罪の確定後、量刑を定める段に及んでも、ソクラテスは国外追放や懲役、哲学活動の禁止という刑罰案を自ら退けます。これらはいずれも哲学することを不可能にする、と考えたからです。むしろ自らはなにも不正なことをしていないという確信に基づいて、彼は「なにか善いもの」を刑罰とするという対案を提示します9。具体的には、プリュタネイオンというアテナイの会堂で食事の饗応を受けることを提案します。これは「刑罰」としては、明らかに常軌を逸しています。そこで裁判員たちはさらに反感を募らせます。こうしてソクラテスには、死刑という極刑が科せられることになります。
 ソクラテスその人にとっては、選択肢は二つしかありませんでした。「哲学し続ける生」か、それとも「哲学し続けて迎える死」か。そして彼は後者の道を辿ることになりました。ソクラテスは「哲学する者」としての生を全うし、それゆえに殺されたのです。
 プラトンはこの裁判に立ち会い、「哲学し続けて迎える死」を見届けました。師の死後も、故人と対話を続けました。それを通して彼は「哲学し続ける生」を生きるとともに、知を愛し求める「哲学」を彫琢しました。
 亡きソクラテスとの対話は、対話篇という作品に結実します。そこではソクラテスが問いを発し、相手が答えます。ソクラテスはその回答を吟味し、さらなる問いを提起します。しかもほとんどの場合、対話的探究はアポリア(行き詰まり)に陥り、重要な問いには明確な回答が与えられません10。それに応じて読者であるわたしたちは、同じ問いを引き受け、問い続けることを迫られます。「哲学する者」としての生を生きるように促されるのです。
 プラトンは対話篇において、亡き師と「共に哲学する」とともに、現代のわたしたちを「哲学する」生き方へ招き入れているのです。

9 同書86頁(36d)
10 前掲『プラトンとの哲学』14頁。

竹之内 裕文(たけのうち・ひろぶみ)

静岡大学未来社会デザイン機構副機構長、農学部・創造科学大学院教授。専門分野は哲学・死生学。東北大学大学院文学研究科後期博士課程修了。博士(文学)。東北大学大学院文学研究科助手、静岡大学農学部・創造科学技術大学院准教授を経て、2010年4月より現職。ボロース大学(スウェーデン)健康科学部客員教授(2011-12年)、グラスゴー大学(英国)学際学部客員教授(2022年)、松崎町まちづくりアドバイザー(2022年-現在)。 「対話」と「コンパッション」を柱に、国内外で広く活躍している。死生学カフェ、哲学塾、風待ちカフェ、対話・ファシリテーション塾などを主宰する。団体コンパッション&ダイアローグ(一般社団法人化を予定)代表。『死とともに生きることを学ぶ 死すべきものたちの哲学』(ポラーノ出版)により第14回日本医学哲学・倫理学会賞を、研究発表「『死』は共有可能か? ハイデガーと和辻との対話」により第8回ハイデガー・フォーラム渡邉二郎賞を受賞。

(モルゲンWEB20251204)

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