「対話的探究への招待――哲学すること、対話すること」第1部 哲学と対話

第5回 「哲学する」生き方への呼びかけ~亡き師との対話

 プラトンは35篇の対話篇と13通の書簡を書き遺しています1。そのうち対話篇にはソクラテスが登場し、さまざまな相手と問答形式で対話的探究を進めます。なぜプラトンは対話篇を書いたのでしょうか。なぜそこにはいつもソクラテスが登場するのでしょうか。今回はこれらの問いに回答を試みます。

不敬神という告発

 ソクラテスは、アテナイの公共広場(アゴラ)や体育場(ギュムナシオン)などで、日常的に対話を実践していました。対話の相手は、ソフィストや弁論家など当代の代表的な知識人、政治家、科学者、詩人、さらに市民に及びました。青年プラトンもその対話の輪に加わり、ソクラテスにつき随うようになりました。
 しかし前 399 年、ソクラテスは「不敬神」の罪状で告訴され、裁判にかけられました。このときソクラテスは 70 歳、プラトンは 28 歳でした。それはいったいどのような告発だったのでしょうか。アニュトス、メレトス、リュコンの連名による告訴状の文面は、次のようなものでした。

ソクラテスは、ポリスの信ずる神々を信ぜず、別の新奇な神霊(ダイモーン)のようなものを導入することのゆえに、不正を犯している。また、若者を堕落させることのゆえに、不正を犯している。2

 裁判の結果、ソクラテスは有罪と断ぜられ、死刑の判決を受けます。この出来事はプラトンに大きな衝撃を与えます。師の死後、「なぜソクラテスは殺されなければならなかったのか?」と、プラトンは問い続けます。そして「哲学者(philosophos)としての生を全うしたがゆえに」という結論に達します。
 告訴状の文面を検討しておきましょう。主な罪状は、「ポリスの信ずる神々を信じない」という不敬神です。古代ギリシア社会には、ポリスが祀る神々の加護のもとポリスは繫栄するという社会通念がありました。逆にいえば、ポリスのメンバーの不敬な言動はポリス共同体に災禍をもたらすと考えられていました。それゆえ不敬神は大罪とされました。

1 その一部は、プラトンの名を借りた「偽作」の可能性があります。納富信留『プラトンとの哲学』岩波新書、2015年、10-12頁。
2 プラトン『ソクラテスの弁明』納富信留訳、光文社古典新訳文庫、2012 年、133 頁(解説)。

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