
「対話的探究への招待――哲学すること、対話すること」第1部 哲学と対話
ソクラテスには時折、「神霊(ダイモーン)」の呼びかけが聞こえたといいます。『ソクラテスの弁明』においても、ソクラテスは裁判の被告として、「わたしにはなにか神に由来するもの、神霊のようなものが生じている」と発言します3。それはソクラテスが「なにか正しくないこと」を行おうとすると、「どんな小さなこと」にでも反対の声を発したといいます4。それを揶揄して、告訴状では「別の新奇な神霊(ダイモーン)のようなもの」が言及されているのです。
告訴の真の理由
告訴状における主要な罪状は「不敬神」です。その影響により若者を堕落させたという「不正」は副次的な罪状にとどまります。にもかかわらずソクラテスは、告訴への弁明に際して、告発の内容を次のように語りなおします。
ソクラテスは不正を犯している。若者たちを堕落させ、かつ、ポリスが信じる神々を信ぜず、別の新奇な神霊(ダイモーン)のようなものを信ずるがゆえに。5
ここでは、告訴状での主罪状と副罪状の順序が入れ替えられ、後者がクローズアップされています。それはなぜか。告訴の真の標的が「若者の堕落」におかれていることを浮き彫りにするためです。告発の背景には、アテナイの民主政を混乱させ、転覆させようとした政治家、アルキビアデスやクリティアヌスなどに対するソクラテスの影響がありました。彼らは若い頃からソクラテスと親しく交際していました。それゆえソクラテスが対話を通して彼らに反民主政的な思想を吹きこんでいたのではないかと、嫌疑をかけられたのです。
ソクラテス裁判の背景には、このような政治的問題がありました。またこれと関連して、アテナイの有力者たちがソクラテスに抱いた憎悪がありました。
「知恵ある」と自他ともに認める人びと(政治家、詩人、職人)を訪ねて、ソクラテスは相手と自分の「知恵」を吟味しました。そして次のことを発見しました。彼らは、大切なことを知らないにもかかわらず、社会的地位や名声、自らの技量によって、自分こそ知恵ある者と思いこんでいる。自分が「知らない」ということ(不知)を自覚していない「無知」の状態にある。その無知ゆえに「思いこみ」(ドクサ)を脱することができないのだ。ではソクラテスその人はどうなのでしょうか。
3 同書67頁(31c-d)。
4 同書100頁(40a)。
5 同書41頁(24b-c)。
