「わたしのマンスリー日記」第32回 加賀遠征―「史上最大の作戦」(The Longest Day) その3

 普段耳にしてる「石川県」ですが、改めて考えてみると近隣諸県の中でなぜ石川県の県庁所在地である金沢を使っていないのはなぜだろう、という疑問は誰もが持つに違いありません。地名にはこうした謎解きの面白さがあるのです。
正解・解説篇をどうぞ。

【問題1】正解・・・(B)
 明治4(1871)年7月の廃藩置県によって、「金沢(加賀)藩」は「金沢県」に、「大聖寺藩」は「大聖寺県」となりました。「金沢藩」はいわずと知れた「加賀百万石」ですが、「大聖寺藩」は3代藩主前田利常が「富山藩」とともに置いた支藩でした。つまり、金沢藩の下に「大聖寺藩」と「富山藩」が置かれたことになります。
 ところが、明治5(1872)年2月、金沢藩の大参事の内田政風は県庁を金沢から石川郡美川(みかわ)に移し、県名を「石川県」としました。県庁は明治6(1873)年に金沢に戻ることになりましたが、県名はそのまま「石川県」として残ることになったのです。
 「石川郡」は古代よりある郡名ですが、その由来はここを流れる「手取川」が「石の多い川」であったことを示すもので、文化的な意義はほとんど皆無な地名なのです。

 このような問題を今回問題も10問出したのですが全問正解者が一人だけおりました。その方を含めて高得点を挙げた3名様にプレゼントさせていただきました。
 さてこれからが史上最大の作戦なのです。クイズの後は恒例になっている、参加者から難読地名を挙げてもらってそれを私が読み解くというという危険極まりないぶっつけ本番の勝負です。個人的にはこういうやり方の方が性に合っているのです。5問中、「金石」(かないわ、金沢市)、「百々」(どど、加賀市)、「羽咋」(はくい、羽咋市)の3問読み解けたので、面目立ったかな? ホッ。地名講座は地元の江沼地方史研究会会長の見附裕史さんをゲストにお迎えして成功裡に終えることができました。長年コンビを続けてきたナビの岡田直也さんと見附さんに感謝申し上げます。

関連記事一覧