「わたしのマンスリー日記」第32回 加賀遠征―「史上最大の作戦」(The Longest Day) その3

 私はALSで倒れる直前の2016年まで大学の教員を務めました。その間、望んだわけでもないのにやらされた理事・副学長職を含め、自分の能力の2、3倍の仕事をこなしてきました。「もうこれ以上はできない!」というのが率直な思いでした。だから6年前にALSを宣言された時「我が人生に悔いなし」と思ったのです。しかしそこに落とし穴がありました。
 今にして思えば、学者の世界、そしてその学者の集合体である大学というところは「利他」ならぬ「利己」の塊でした。「自分が、自分が」「自分の大学だけが」という意識の集合体でした。あえて言えば「利他の心」などひとかけらもないというのが正直な実感です。
 その渦中にいた私も御多分に漏れず利己の塊のような存在でした、妻からはいつも「自分のことしか考えていない」と言われ続けてきました。そんな私を変え利他の心に目覚めさせてくれたのはALSでした。
 私は大学院生の時、民俗学者の柳田国男の思想に開眼し、爾来半世紀余りにわたって私の学問観と教育観は先生の思想に支えられてきました。先生は「学問は世のため人のために役立つものでなくてはならない」との信念から日本民俗学を興されました。そして教育はその学問を生かして「国民総体の幸せ」を実現するものでなければならないとしました。
 これは「利他の心」ですよね。これまでわかっていたつもりでしたが、ALSの体験からより鮮明に理解することができました。そのことはこれまでやってきた学問と教育を見直すことにもつながりました。だから8:2の割合でALSに感謝しているのです。
しかし、そう考える一方で、妻の急逝が私がALSに罹患したことによるものだと思うと、割合は逆転して2:8になります。

 2つの講座を何とかやり遂げ帰路に就く直前のことでした。ストレッチャーに縛られて介護タクシーに横になった時一人の男性が車に乗り込んできて声をかけてくれました。それは何と前事務局長の矢内廣さんでした。今回の遠征でお会いしたかったお一人でした。矢内さんの目は同じ文化の振興に力を尽くそうとするエンジン01の優しい眼差した。私は心で泣きました。
 帰りはトイレ休憩だけで飲まず食わずの8時間のロングランでした。自宅に着いたのは日付が変わって7日の午前2時。これで43時間に及ぶThe Longest Dayが終わったかに思いましたが、さにあらず。
 午前3時に眠りに就いて数時間仮眠してお昼前に起床。実はその日の午後3時に大学退職祝いや私の傘寿祈祝いという名目で、筑波大学で博士論文を指導した愛弟子が、韓国、北海道、秋田県から、そして大学の後輩が静岡県から集ってくれることになっていて、そこまでが私のThe Longest Dayでした。

 後日談です。その2日後の9日の朝一挙に疲れが出て救急入院する羽目に。でも生きて戻ってこられただけで、加賀遠征は成功かな? いつも高いご配慮をいただいている幹事長代行の林真理子先生、いろいろ細かい点までお手数をかけた事務局の夏井孝子さんを始め、ご支援いただいた全ての皆様に感謝申し上げます。

谷川 彰英 たにかわ あきひで 1945年長野県松本市生まれ。作家。教育学者。筑波大学名誉教授。柳田国男研究で博士(教育学)の学位を取得。千葉大学助教授を経て筑波大学教授。国立大学の法人化に伴って筑波大学理事・副学長に就任。退職後は自由な地名作家として数多くの地名本を出版。2018年2月体調を崩し翌19年5月難病のALSと診断される。だが難病に負けじと執筆活動を継続。ALS宣告後の著作に『ALSを生きる いつでも夢を追いかけていた』(2020年)『日本列島 地名の謎を解く』(2021年)『夢はつながる できることは必ずある!-ALSに勝つ!』(2022年、以上いずれも東京書籍刊)、『全国水害地名をゆく』(2023年、集英社インターナショナル)がある。

(モルゲンWEB20251210)

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