
「対話的探究への招待――哲学すること、対話すること」第1部 哲学と対話
第6回 哲学する者として生きる~途上にある哲学
「哲学」という探究の営みは、完結することがありません。哲学する者は、常に探究の途上にあります。探究者として生きるかぎり、わたしたち一人ひとりも途上にあります。今回はプラトンの対話篇『饗宴』に題材を求め、このことを明らかにします1。
はじめに、「饗宴」の輪郭を描くことにしましょう。次いで、この対話篇の主題である「エロース」(愛)にアプローチします。エロースはダイモーン(神霊)という「中間者」の姿で立ち現れるでしょう。それを手がかりに、「哲学」という営みの固有の性格を浮かびあがらせることにしましょう。
舞台と背景
アテナイでは毎年1月、春の訪れを祝ってレナイア祭が催されます。アクロポリスの丘の南面に位置するディオニソス劇場では、数日間にわたり、悲劇と喜劇のコンクールが開催され、市民たちの前で新作が上演されます。紀元前 416 年の悲劇コンクールでは、若手の悲劇作家、アガトンが見事に初優勝を飾り、アガトン邸で祝賀会が開かれます。
祝賀会のスタイルは、書名の通り、「饗宴」(symposion)です。寝椅子に横になり、ワインの水割りや食べ物を手にとりながら、会話や議論を楽しみます。参加者は、ホストのアガトンのほか、喜劇作家のアリストファネス、医師のエリュクシマコス、アガトンのエラステス2(年長の恋人)であるパウサニアス、弁論術に関心を寄せるパイドロス、ソクラテスを崇拝するアリストデモス、そしてソクラテスその人です。終盤には、酩酊した政治家アルキビアデスが宴席に乱入します。
ソクラテスが遅れて最後に登場すると、一同は今晩の宴会の進め方について協議します。前夜の祝賀会で深酒したというパウサニアスの提案で、控えめに飲むという方針がまず立てられます。次いで、エリュクシマコスがパイドロスとともに、「エロース」を褒め讃える言説を競い合うことを提案します。
ギリシア語の普通名詞「エロース」は、「フィリア」と「アガペー」と並んで、「愛」を意味します。ただしこれらの語のあいだには、ニュアンスの違いがあります。
1『饗宴』は紀元前 380 年頃に執筆された中期の作品です。前回とりあげた初期の作品『ソクラテスの弁明』に比べると、プラトン自身の思想がより色濃く打ち出されています。現にこの作品には、「イデア」という概念が初めて登場します。
2この言葉の背景には、成人した男性と成人前の少年が性的な関係を結ぶ「パイデラスティア」(少年愛)という古代の風習があります。主導的な役割を担う成人男性が「エラステス」(愛する者)、従属的・受動的な立場の少年が「エロメノス」(愛される者)と呼ばれます。ここでは「愛する」(eraō)という動詞が使われています。これを名詞化したものが「エロース」( erōs)です。なおアガトンはこの時点で30歳前後ですから、パウサニアスとアガトンの関係は当時としても異例で、社会規範を逸脱したものといってよいでしょう。プラトン『饗宴』中沢務訳、光文社古典新訳文庫、2013年、218-224頁(解説)。
