
「対話的探究への招待――哲学すること、対話すること」第1部 哲学と対話
「フィリア」は、友人や家族のあいだで成立する、同等の者どうしの友愛を表します。「アガペー」は、相手の存在をそのまま肯定し、その幸福を願うような愛、相手からの見返りを求めない無償の愛をいいます。対して「エロース」は、異性愛と同性愛をふくむセクシャルな愛を表します。
ギリシア神話では、「エロース」は太古の偉大な神として姿を現します。それに応じてこの時代にいたるまで、盛んに讃美されてきました。ヘシオドスは『神統記』において、原初のカオス(混沌)に続いて、ガイア(大地)とタルタロス(深淵)とともに、「不死の神々のうちでも並びなく美しい」エロースが生まれたと描写します3。ソフォクレスの『アンティゴネ』(781-800 行)やエウリピデスの『ヒッポリュトス』(525-544行)では、コロス(合唱隊)がエロースを讃美します。さらに美術・文学作品では、エロースは多くの場合、美の神アフロディテ(ローマ神話のヴィーナス)の子や随伴者として表現されます。
饗宴の舞台へ戻りましょう。ソクラテスは、エリュクシマコスの提案に賛成します。「なんといっても私は、エロースに関すること以外はなにも知らないと宣言している者なのだから」と、謎めいた言葉を口にして4。こうしてパイドロス、パウサニアス、エリュクシコマス、アリストファネス、アガトン、ソクラテスの順で、エロースを讃美するスピーチが披露されることになります。
5人のスピーチ
パイドロスからアガトンまでの演者たちは、それぞれの着眼点から、エロースの「美しさ」を称揚します。パイドロスは、エロースに言及する神話や文芸・思想をレビューします。パウサニアスは、アフロディテに関する二種の神話伝承に基づいて、「天のエロース」と「俗のエロース」を区別します。これを「美しい愛し方」と「美しくない愛し方」に対応させ、さらにそれを同性愛(少年愛)と異性愛に重ね合わせます。同性愛は精神的で高尚な愛の姿であるという価値観が打ちだされるのです。ヒポクラテス派の系譜に属する医師、エリュクシコマスは、直前のパウサニアスの枠組みを引き継いで、宇宙論的なエロース論を展開します。エロースはコスモス(世界・宇宙)にあまねく作用する力として解釈されます。
喜劇作家のアリストファネスは、次のような興味深い神話を語ります。かつて人間は、現在の二つの身体が組み合わされた球体のかたちをしていた。男と男、女と女、男と女という組み合わせに応じて、それぞれ男、女、アンドロギュノスという三つの性に分かれていた。この太古の種族は、恐るべき力をもち、傲慢で放埓だった。神々に戦いを挑んだため、神々の怒りを買った。ゼウスは他の神々と協議して、この種族を半分に切断したため、かれらは現在の人間の姿になった。
3ヘシオドス『神統記』廣川洋一訳、岩波書店、1984年、21-2頁(116-120行)
4プラトン『饗宴』中沢務訳、光文社古典新訳文庫、2013 年、36 頁(177D)。ただし訳語は、納富信留『プラトン哲学への旅 エロースとは何者か』(NHK 出版新書、2019 年、74 頁)に依拠しています。
