「わたしのマンスリー日記]」 第33回 「科学の芽」賞の眼(め)─科学する心

3 「科学の芽」の発見!

 2006年4月の某日、私はある決意をもって東京駅北口の丸善書店に向かいました。何時間かけても今日中にコンクールの名前を決めたいという一心でした。丸善書店は私にとっては知恵袋のような存在でしたが、いかんせん私は物理学とは無縁の純粋の文系の人間。賞のネーミングについての見通しなど全くありませんでした。

 3階の物理学書のコーナーの前に立った時もほぼ絶望的でした。これまで読んだことのない難解な本がずらり。こりゃ無理だなと諦めかけた時、ふと 1冊の本が目にとまりました。書名は忘れましたが、その中に思いもかけぬ言葉が書かれているのを発見しました。

ふしぎだと思うこと これが科学の芽です
よく観察してたしかめそして考えること これが科学の茎です
そうして最後になぞがとける これが科学の花です

 この言葉を発見した時の衝撃と感動は、たとえて言えば地味探放家が南極大陸を発見した時のそれに匹敵するものでした。「これだ!!」と直感したその瞬間に、賞の名前は「科学の芽」賞に決まりました。

 この言葉は、1974年11月6日に国立京都国際会館において、湯川秀樹・朝永振一郎・江崎玲於奈の三人の博士による座談会が開催された際に、「子どもたちに向けた言葉を」との要請に応えて、朝永博士が色紙(京都市青少年科学センター所蔵)に書かれたものであることも記してありました。三人のうちお二人が筑波大学関係者であったことは、今にして思えば不思議な縁を感じます。

 賞の名前が決まったらあとはとんとん拍子に進みました。中でも毎日新聞社の協賛を得たことは画期的なことでした。それまで新聞社が企画した行事に大学が協賛することはあったにしても、一国立大学が主催する行事に大手新聞社が協賛するということは稀有なことだと思いました。

 幸運は重なりました。賞状と記念品の製作は、当時の教育局とも関りが深かったデザイン会社にお願いしました。さらに同社には「科学の芽」賞の入選作品を載せた『もっと知りたい!「科学の芽」の世界』(筑波大学出版会)を出版するに当たり、カバーデザインを担当していただきました。筑波大学出版が設立されたのは2008年のことですが、私は翌年3月退職後も特任教授として残り、2年間にわたって初代編集長を務めました。これも幸運でした。

 2006年12月23日、筑波大学大学会館で「科学の芽」賞の授賞式が行われました。21名の受賞者とご両親、さらにおじいちゃん・おばあちゃんまで、100名に及ぶ関係者が全国から駆け付けてくれました。それを見て「科学の芽」賞の反響の大きさを実感しました。と同時にこのプロジェクトは筑波大学の社会貢献の最たるものになると確信しました。

 私の予測は間違っていなかったようです。あとは受賞者の中からノーベル賞受賞者が出るのを待つだけです。

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