「対話的探究への招待――哲学すること、対話すること」第1部 哲学と対話

 すべての主な登場人物は、対話の参加者である。かれらは、かれらについてほかの者たちが話すことすべてを耳にしており、すべてに応答している(かれらについては、かれらが不在の場所や閉じた扉の向こう側でなにひとつ話されることがない)。作者も、対話の参加者(および対話の組織者)であるにすぎない。当人不在で、対話の外でひびき、モノ化する言葉はごくわずかであり、それらは、二次的な客体的登場人物にとってのみ本質的で完結させるような意味をもっている。11
 この考え方はオープンダイアローグに継承されます。じっさい「作者」を「専門家」、「主な登場人物」を「患者」と「家族」、「友人」に置き換えれば、引用した文章はオープンダイアローグの基本方針を表しています。12
 「対話の参加者」は他の参加者の発言に耳を傾け、それに呼応して自らの言葉を発します。対話に参加するかぎり、作者も、主要な登場人物たちの発言に耳を傾け、それを踏まえて自身の言葉を発することになります。主要な登場人物たちも、作者の言葉を聴き、そのうえで発言します。
 「対話の組織者」は、対話の参加者一人ひとりと向き合い、個性的な参加者たちを互いに結びつけて、対話の形成と発展を図ります。今日の対話実践で「ファシリテーター」と呼ばれるポジションに相当するでしょう。ポリフォニー小説では作家がファシリテーターとして、参加者一人ひとりの声を注意深く聴き、他の参加者たちがそれに応答するように手助けをします。それを通して対話の舞台が整えられ、対話が生み出されるのです。
 作者が主要な登場人物たちとの対話的関係、つまり互いに呼びかけ、応える関係を拒絶して、自身を作品の「外部」(登場人物たちが「不在の場所」や「閉じた扉の向こう側」)に置くと、モノローグ小説になります。そこでは作者がひとり全体を見渡すという特権を手にし、いわば専制君主(哲人王)として、舞台設定と登場人物の発言やふるまいを統制するのです。

無限な〈他者〉を迎え入れる

 先に確認したように、人間は生きているかぎり、いや、死してなお完結しない無限の存在です。ドストエフスキーのポリフォニー小説は、このような人間観に基礎づけられています。ポリフォニー小説に固有な作者の「能動性」について、バフチンは次のように指摘します。

11 前掲『生きることとしてのダイアローグ バフチン対話思想のエッセンス』31頁。
12 斎藤環『オープンダイアローグとは何か』医学書院、2015年、23-4頁。

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