「対話的探究への招待――哲学すること、対話すること」第1部 哲学と対話

 ポリフォニー小説の作者は、極度に張りつめた大いなる対話的能動性を要求される。それが弱るやいなや、主人公たちは凍りつき、モノと化し始め、小説中にはモノローグ的に形式化された生の断片が出現することになる。(略)ポリフォニー小説の作者に要求されるのは、自分や自分の意識を捨てることではなく、この意識を極度に拡大し、深め、意識を(もっとも、一定の方向へではあるが)築きなおすことによって、そこに十全な権利をもった他者の意識たちを収容できるようにすることなのである。13
 なぜポリフォニー小説の作者は、極限的な「対話的能動性」を要求されるのでしょうか。それは他者を他者のまま、作品のうちに迎え入れるためです――対話のファシリテーターにも、同様のことが要求されます。しかし、それはきわめて「困難な未曾有の作業」となります。他者たちは作者と同様に、完結しない無限の存在であり、作者と同等な主体であるからです。
 作者の意識は、自分のとなりや自分の眼のまえに、自分と対等な他者の意識、そして自分の意識とおなじく無限で完結不能の他者の意識を感じている。作者の意識は、客体たちの世界をではなく、まさにそれぞれの世界をもった他者の意識を反映し、再現しており、しかもその本来の完結不能性(そこにこそ他者の意識の本質があるのだ)の状態で再現している。14
 バフチンはここで、他者が完結不可能な主体、無限な主体であることを明示しています。この主体的な存在は、客体化することも、観察・分析することも、定義を下すこともできません。「国籍は〇〇である」「人種は〇〇である」「性的アイデンティティは〇〇である」「職業は〇〇である」「年齢は〇〇歳である」と、いくら記述を重ねても、当の無限な主体を言い表すことはできないのです。ではいったいどのように受けとめ、迎え入れたらよいのか。バフチンの回答は「対話的に交通すること」、つまり「語りあうこと」です。

呼びかける-応えるという関係

 バフチンによれば無限な他者は、呼びかける-応えるという関係において出会われます。フランスの哲学者レヴィナスは、これと深く共鳴する洞察を示しています。言葉の本質は呼びかける-応えるという関係にあり、無限の〈他者〉はここで出会われると指摘するのです。

 レヴィナスはそれを次のように表現します。無限なものは〈他者〉において現前する。〈他者〉はわたしにふり向き、わたしを問いただし、無限なものであるというその本質によって、わたしに責務を負わせる。15

13 前掲『生きることとしてのダイアローグ バフチン対話思想のエッセンス』39-40頁。
14 同書38頁。
15 レヴィナス『全体性と無限(下)』熊野純彦訳、岩波文庫、2006 年、60 頁。ただし表記を一部改めています。

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