
「対話的探究への招待――哲学すること、対話すること」第1部 哲学と対話
今回から 2 回にわたって、「主体的な真理の探究としての哲学と対話」というテーマのもと探究を進めます。前篇では、キェルケゴールによる主体的な真理の探究の足跡を辿ります。そのうえで「キリスト教界にキリスト教を再導入する」というキェルケゴールのライフワークを素描します。後篇では、キェルケゴールのソクラテス解釈について検討し、〈実存哲学〉と「間接的伝達」が生み出される道筋を描きます。さらにキェルケゴールとウィトゲンシュタインへと〈実存哲学〉の系譜を辿ります。これらを通して「哲学」と「対話」は、新たな光のもとに立ち現れるでしょう。
キェルケゴールという「主体的思想家」(den subjective Tænker)の場合、その思想を生き方から切り離すことができません。それを踏まえて、彼の前半生の歩みを簡潔に描き出すことから始めましょう。そこから主体的思想家の出発点が浮かび上がるはずです。
主体的な真理の探究
セーレン・キェルケゴールの父、ミカエル・キェルケゴールは、デンマーク西端の小さな町セディングで、貧しい小作の家に生まれました。一家は敬虔主義の流れを汲むヘルンフート派の信仰共同体に属し、簡素で敬虔な信仰生活を送りました。ミカエルは少年時代から羊飼いとして働き、11 歳のときにコペンハーゲンに出て、商家に住みこんで働きました。2年後にはコペンハーゲンの市民権を獲得し、独立して商売を始めました。若くして事業に成功し、デンマークで有数の富を築きあげました。最初の妻との死別後、ミカエルは 40 歳で事業から引退し、キェルケゴール家で小間使いをしていたアーネと再婚しました。
セーレン・キェルケゴールは 1813 年に、この両親の末っ子(7 人目の子)として生まれました。このとき父は 56 歳、母は 44 歳でした。父ミカエルは、自身の生の歩みに対する罪悪感と償いの意識から、常軌を逸した厳格な宗教教育を息子セーレンに施しました3。人間の罪とキリストの受難について徹底的に教えこみました。後年になってセーレンが回顧するように、老人ミカエルは彼の憂愁のすべてを、幼い子に背負わせたのです。それによってセーレンは無邪気さと無縁な子ども時代を送り、「憂愁」と「閉じこもり」の性向を身につけます4。
3 ミカエルは少年時代、荒野で羊の番をしていたとき、耐えがたい苦しみと飢え、疲労のため、神を呪ったといいます。またアーネとの再婚には、ミカエルの不貞な行為が影を落としていました。その後ミカエルは 5 人の子を亡くし、アーネにも先立たれます。孫たちも夭折し、長男の妻も結婚直後に亡くなります。やがてセーレンは父の家を離れ、教会からも遠ざかります。1838 年、ミカエルは自らの死が迫っていることを感じて、自分の罪をセーレンに告白します。セーレンは後年、この出来事を「大地震」の体験として回顧します。
4 鈴木祐丞『キェルケゴール――生の苦悩と向き合う哲学』ちくま新書、2024 年、57-8 頁。
