大門真優子さん(衣装デザイナー)
大門真優子さんはフリーの衣装デザイナーである。が、これはあくまで既存の肩書きを割り当てた場合の話。歌手のライブ衣装作成や、雑誌企画のアートディレクション……、それらを、ときに映像や音楽を使い、視覚的、空間的につくりあげるその仕事の呼び名は、少なくともいまの日本にはないだろう。目指す地平は「ウェアラブル(身に着けられる性質)でありつつどこか絵画やオブジェを思わせる超現実的なビジュアル世界」。鬼才の源泉を訊ねた。
大門さんが生まれたのは埼玉県。幼いころからモノづくりの大好きな少女だった。やわらかにかすむ記憶のなかには、妹とふたり興じた人形遊びの光景が浮かぶ。人形の服づくりに夢中になるうち、気付けば日が傾いている。そうして服が完成すると今度はストーリーだ。これもどこかで見た、聞いた話ではなく、オリジナルをと、ふたり楽しげに頭をひねる。想像力と創造性に満ちた幼年期――、それを下支えしたのは父の教えだった。「自分のやりたいことをノートに100個書いてみなさい」あるときそう父に促された。自分はいっぱいあるから、きっと100個なんて余裕だ。いきおいノート向かったが、すぐにウッとつまる。いくら細大もらさず書き込んでも全く埋まらない。
「どんなちっちゃなことを書き込んでも半分もいかない。100なんて届かないんです。それで、あ、私まだ全然足りないんだって気付いた……」
父はほかにも「なにも肩書きをひとつに絞る必要はない。自分の将来やりたいことをひとつに決めなくていいんだよ」と娘たちの心に自由の庭を与えた。現代人はなにかを目指せば目指すほど、焦点を絞りがちだ。そうではなくて、やりたいことすべてを捨てずに抱えて進んでゆく――。
「それを本当に素直に聞いていて。なので小さいころから将来のことを考えるのがわりと好きでしたね」
みずからを「欲張り」とはにかむ大問さんの原点がここにある。絵や音楽が好きなこともあって、漠然と将来に芸術を見ていた少女だったが、思春期にはさまざまの経験に身を浸した。高校では大学の一般入試の準備にも勤しんだ。色々な国を飛び回りたいから、とスチュワーデスにも憧れの視線を向ける。それでも、ファッションデザイナーになりたい、という夢は、幼稚園のころ無邪気に掲げたあの日のままだ。