三田 紀房さん(漫画家)
漫画家・三田紀房さん――『ドラゴン桜』『エンゼルバンク』『クロカン』『砂の栄冠』……、代表作を挙げれば枚挙にいとまがないヒットメーカーだ。岩手の仕立て屋に生まれ、大学の進学に一路東京を目指した青春の頃、紆余曲折の末見つけた起死回生の一手とは……、十代の轍と漫画家への歩みを訊いた。
幼い頃の思い出は
家は仕立て屋をやっていたんです。父は足が不自由で、そんな関係からか店で仕事をする人も身体障害者の方が多かったですね。そういう大人たちの輪の中でじっと生活をしていると、もう色々なモノが見えてくる。例えば、物を作って、納めて……、お金をもらうというプロセスが分かるんです。あ、お金ってこういうふうにして得るんだな、みたいなね。母は病気がちで長いこと入院をしていたし、上の兄弟も年が離れていて、小さいぼくのめんどうを見る人がいなかったといのもあって、仮縫いをする父の傍で幼年期の多くを過ごしました。
高校は応援団が名物だったとか
「バンカラ応援」とでもいうか――、もう明治時代みたいなそういうやつですよ(笑い)。そういうのに憧れて入る子ももちろんいるんですけど、ぼくとしてはまあ、〝好きな人がやるもの″という感じで。で、一般の生徒もそういう練習をしなくちゃならない。それで、(一週間の辛抱だ、一週間我慢すれば終わる)って心で念じて(笑)。かといって特に反発はなかったですね。決まりごとに反発するよりも、もういいからだまされてやっちゃえという感じで。
高校時代、とくに興味を持ったことは
中学時代から剣道をやっていて、そこの高校の先生が中学校に教えに来ていたんです。それで、高校に入ったらもう自動的にという感じで剣道部に入ったんですけど、それからはもう部活が学校生活の大半というか……、朝も早いし夜も遅い、上下関係もものすごく厳しいし、休みもないしでとにかくきつくてね。毎日、(いやだなぁ……)と思いつつやってましたね(笑)。練習試合も多かったし、 一年間があっというまに終わってしまう感じでした。