「わたしのマンスリー日記」第25回 妻・憲子の死

 とてもつらく悲しいご報告です。4月3日朝、妻憲子が急逝しました。余りに突然のことでしたので、まるで悪夢を見ているようでした。夢であってほしい!夢なら早く覚めてほしい! 何度そう思ったかしれません。自分では何一つできない私を残して妻を先立たせるなんて、それはないだろう。襲いかかる運命を呪いました。
 取りあえず、ことの仔細を4月8日に執り行った告別式の会葬御礼にしたためましたので、お読みください。

会葬御礼のご挨拶

 本日はご多用のところ、妻憲子の会葬にご参列いただきありがとうございました。突然の訃報に皆様から一様に「言葉もありません」とのお悔やみの言葉をいただきました。
 前日の2日は東京書籍の役員の方がお見えになり歓談したばかりでした。私はその打ち合わせの原稿を打っていたために昼食が取れず、妻はそれをおもんぱかって8時半ごろ私の部屋に来て、
「お腹すいてない? もう寝るね」
 と、いつになく優しく声をかけてくれました。それが最後の言葉になりました。私の胸に深く深く刻まれた愛の言葉でした。
 翌朝心臓の発作を起こし、千葉大附属病院に搬送されましたが、8:57に息を引き取ったとのことでした。
「憲子、起きろ! 目を開けてくれ!」
 帰宅した憲子に心で呼びかけました。すぐにでも目を開けそうな安らかな顔立ちでした。それは好きだった京都の永観堂の「みかえり阿弥陀」さながらの美しさでした。
 憲子との出会いは、私が学部時代に都内の主要大学に呼びかけて組織した「教育学を学ぶ会」でした。それ以来ほぼ60年間寄り添ってきましたが、陰に陽に私の仕事・活動を支えてくれました。「ありがとう!」を100万遍叫んでも足りません。

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