大島義史さん(サラリーマン冒険家)

 南緯90度0分0秒――標高3000メートルにある世界の中心。それが南極点だ。マイナス30℃、ウイルスすら存在しない極地に、2015年初頭、自転車で到達した日本人がいる。大島義史さんは「サラリーマン冒険家」だ。少年期にはじめた自転車旅は、やがて日本を飛び越え、海外へ――。求めるのは困難と、その先にある達成感……、旅を綴った著書『会社員 自転車で南極点に行く』(小学館クリエイティブ)を軸に、夢の源泉を訊いた。

 深夜バスで東京へ来た――都内、ビルの一室、早朝の取材に応じる大島さんは、開口一番、そう口にした。昨晩、仕事場の神戸から大阪を経由し、そのままバスに飛び乗ったという。タフネスぶりに舌を巻くと、僕から行動力をとったら何も残らないから……、そう微笑った。

 転勤族だった父親に寄り添って過ごした少年期、日常的に転校を経験した。引っ越しは実に13回。中学から中高一貫校に入学したが、相変わらず転々とする。そんな生活に、父は申し訳なさそうな顔をしたが、当の少年は、と言えば、新しい友達ができる、観光みたいだ、と、いたって前向きだった。それでも、2年刻みで訪れる出会いと別れは、少年の心に一抹の寂しさを残したに違いない。当時、一世を風靡した『ファミコン』。その中でも先駆けとなった『ドラゴンクエスト』をはじめとするRPG(ロールプレイングゲーム)……、勇者が各地を転々としながら仲間を集め、魔王を倒すストーリーに、中学、高校と、どっぷりハマりこんだ。そして、どこか原風景と重なるこの幻想世界の疑似体験は、その後の冒険に繫がっていく事になる。

自転車旅行で世界広がる

 高校に上がったころ、少しずつ、〝歩き旅″を始めた。しかし、徒歩では、どうしても、行動範囲が狭くなる。ふと見ると、自転車で旅する旅行者が目に入った。すぐにやってみると、はたして旅路が伸びる。世界が広がった――。得られる感覚はまさに、あのRPGの経験そのものだった。はじめは一人旅だが、旅の途中で道連れとなる――パーティーが増えるというのもゲームと同じ。経験が増し、難しいコースや僻地にも挑戦するようになると、少しずつ仲間との冒険も増えていく。大学に入学してからも距離は伸び続け、気付けば国内の走行距離は2万キロ。次第に海外を視野に入れるようになっていた。

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