八重樫 東さん(元プロボクサー・世界王者)

 今年5月(2017年現在)、有明コロシアムは異様な雰囲気に包まれた。IBF世界ライトフライ級タイトルマッチ、その1Rの2分27秒、王者・八重樫東さんはまるで悪夢の中のようにマットに倒れていた。日本人初の3階級王者、『激闘王』の墜落は日本中に衝撃を与えた。それはまた、それまで残した多くの感動の軌跡をファンの脳裏にフラッシュバックさせたに違いない。いまだ続く夢の轍、そのルーツを訊いた。

 岩手県北上市――岩手の内陸、いわゆる山間の平地で、山から吹き渡る風に抱かれるように過ごした幼い頃、とにかく活発な少年だった。この頃の記憶を手繰ろうと、知人、肉親に言葉を求めれば、必ずといっていいほど「落ち着きがない子どもだった……」そんな評価が返ってくる。家の中にいた記憶がない――、そう表現するその頃の遊びの舞台は、もっぱら公園や学校の校庭だ。とはいえ、問題児だったのかと言えば、授業中には、自席でつましくしているようなところもあり、しかし、近寄って覗き込めば、やはりその手は、黒板の板書ではなく、ノートの落書きに動いている。あまりの熱中に、背後から覗き込む視線にも気付かない。「八重樫君上手だね」たまりかねた教師の精一杯の皮肉にも、「ありがとうございます!」力一杯そう返す。本気なのか冗談なのやら……、困ったような曖昧な表情を力なく浮かべると先生は机の傍を通り過ぎる――。

 母の影響でよく書いた絵は、成長とともに身近になった漫画で勢いを増し、その頃夢中になった野球と並んで、楽しみの中心のひとつになっていた。漫画を好きなったのには、ひとつには兄の影響がある。漫画が好きで、書くのもうまい兄の姿をいつも、凄いナ……と眺めていた。だが一方で、テーマを見つけ、ストーリーをつけて展開を考えて……、自分には向いていない、とも考えた。したがって、いまだ将来の地図は見つからない、それでも、中学生になる頃には、漠然とではあるが、強い感覚を手にする事になる。それは「サラリーマンにだけはなりたくない」というもの。毎日会社に行って、同じ事をして……、楽しいのかな。周囲に溢れる定型文にも似た人生に、どうしても馴染めなかった。

関連記事一覧