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中西 哲夫さん(スポーツジャーナリスト)

 中西哲夫さんはスポーツジャーナリストである。Jリーグの黎明期、所属する名古屋グランパスエイトで持ち前の語学力を生かし、助っ人外国人や監督とチームメイトとの橋渡しを担う姿を記憶するサッカーファンも多いことだろう。現在はその経験から、テレビの解説に、後進の育成に、サッカー誌の連載にと精力的に取り組むが、そのエネルギーの源泉は何か――。サッカーから語学を横断した十代を訊いた。

名古屋のご出身ですね

 名古屋のどこにでもあるような、ありふれた新興住宅街のマンションに、一家で暮らしていましたね。マンションには同級生も多く、みんな地元の千種サーッカー少年団というチームで、サッカーを習っていました。僕も小学校の3年生からこのチームに所属し、夢中でサッカーボールを追いかけました。

どんな少年時代を

 大学で教授をしている父は、幼い僕をよくいろんな場所へ連れて行ってくれました。名所、歓楽地もそうですが、特に自然の多い場所に行くことが多く、土日には芝生公園で緑の中を駆け抜けたのを憶えています。そんな時、若い頃から長く野球を続ける父も、一緒になって、気持ち良さそうに走ります。まだ、サッカーを始める前の頃には、野球やキャッチボールの相手もしてくれました。今思うと、そういう体験がとても大事なことだったんだと感じます。

高校は名古屋大学付属高校に進学されます

 試験の前に、抽選のある特殊な学校で、入学には、ある種のくじ運も必要です。当時、定員が100人そこそこ、そしてその半分は、中等部から持ち上がりです。僕は受験番号25番でしたが、前には誰もいませんでしたから、みんな外れたのかもしれません。そういう意味では、入学できたのは運が良かったですね。

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