
朝原 宣治さん(北京400メートルリレー銅メダリスト)
朝原宣治さんは元陸上競技日本代表選手だ。2016年8月、リオオリンピックの400メートルリレーで、日本が「ライトニング・ボルト」と死闘を演じ、銀メダルを手にしたのは記憶に新しいが、かつての陸上弱小国というイメージを払拭した、2008北京五輪の400リレー銅メダルも、いまだ鮮烈に脳裏に残る人も多いだろう。日本躍進の礎を築いた立役者は、今も指導者として日本を牽引する。十代の軌跡を訊いた。
幼い頃から運動は得意でしたか
そうですね、小学校の運動会では割と活躍していたし、中学校でやっていたハンドボール部の中でも足は速い方でしたね。でも、それが本当に花開いたのは、高校で陸上部に入ってからですね。
子どもの頃の家庭環境はどんなふうに
父が銀行員で母は専業主婦のごく一般的な家庭でしたね。僕らが住んだ鈴蘭台は神戸市三宮に隣接する静かなベッドタウンで、今でこそ閑静な土地ですが、当時は子供も沢山いたりして賑やかな街で。よく近所の子と集まっては、遊びに探検にと駆け回ったのを憶えています。
ご両親の教育方針は
高校まで受験もなかったのもあって、比較的伸び伸びと過ごしていましたね。たまに自分の昔のことを両親に尋ねるんですが、なんでも、僕が生まれた頃はもっと海側に住んでいたそうで、そこから環境を選び、空気が良く子供の遊び場もある山の手に居を構えた、と言うんです。母はどうやら”食”についてもかなり研究していたらしく、”勉強よりもまずは生活の基礎的なところを整える”というような考えを持っていたようですね。
高校では初めての受験を経験します
中学まではごく普通に近隣の公立に通うだけでしたが、高校からは学区制で。で、僕の学区のトップは兵庫高校だったわけなんですが、なんと姉がそこに通っていて。そんなこともあって、そうしてもそこに行きたかったんです。なぜって、兄弟って比べられるじゃないですか。それで、なんとか頑張ろうとやっていたんですが、やっぱり少し届かなくて。それで一つ下の、夢の台高校というところに入ることになって。
