
矢部 太郎さん(お笑い芸人)
「お笑いタレント・カラテカ矢部太郎さん」──、そう聞いたとき連想するのは、コンビで舞台に立つ芸人の姿か、それとも、クイズ番組で雑学を披露するタレントの姿か、はたまた、バラエティーで多言語を習得し、海外を飛ぶさまだろうか。それぞれ世代による違いはあっても、その独特のキャラクターが脳の片隅に住み着いて離れない人は多いはず。それが今度は漫画家デビュー、それも、いきなりの手塚治虫文化賞短編賞受賞というから驚きだ。絵本作家の家に生まれ、お笑いと漫画家の二刀を抜いた異色の才能に十代を聞いた。
どんな少年期を
よく「大人しかったんじゃないの」なんて言われることもあるんですが、小学生くらいのころは実際かなり活発でしたね。通知表のコメント欄にも〈落ち着きがない〉〈うるさい〉といった注意書きが並ぶ。賑やかなのが好きで、ちょっと授業を邪魔しちゃうような……、そんな子でした。
そのころの遊びの舞台は
そんなふうですから外でみんなと元気に遊ぶ、ということが多かったと思います。でもその反面、家でひとり、静かに絵に没頭することもありましたね。
お父様は絵本作家ですね
父は家を仕事場にしていて、幼い僕は黙々と作業するその背中をいつも見ていた。画材や筆記用具も豊富にあって、小さいころから絵を描くのは自然なこと、という感覚がありました。動物園や近くの公園に父がスケッチに出るときには、きまって僕も自分用の道具を持ち出し、ついていく。親子で並んで絵を描いたりもしていました。
お父様の作品の記憶は
物語もありましたが、どちらかと言えば語りかけるタイプのものが印象に残っています。絵本を開くと少しだけ空いた窓から、チラっと何かが覗く。「コレなーんだ?」……。で、それがクイズになってたりもする。こういうのって、一度見たらもう答えは分かってしまいますよね。だけど、実際に子どもにやって見せると、「もっかい、もっかい」ってなる。答えはもう分かってるわけだから、めくる前に言っちゃったりもするんだけど、それでも楽しい。父は造形教室もやっていたので、子どもがそれを楽しがることを、ちゃんと分かって作っていたのかなと思います。あるいは、僕がそれを楽しんでいるのを見て、それをもとに作品を考えていたかもしれないですね。
