
「対話的探究への招待――哲学すること、対話すること」第1部 哲学と対話
ここでトラシュマコスは「空とぼけ」という表現で、ソクラテスが「不知」を装っていることを非難しています。しかしソクラテスその人は、本連載の第 5 回で確認した通り、「不知」を装っているわけではありません。「知らないことを、知らないと思っている」だけです4。この「不知」の自覚に基づいて、ソクラテスは対話的探究へ赴き、相手と自分が「思っていること」を検証するのです。これを踏まえれば「ソクラテスのイロニー」とは、「思っていること」(思いこみ)と「知っていること」(知)の隔たりに対応しているといってよいでしょう。
ソクラテスの対話的探究は、否定に否定を重ねて、最終的にアポリア(行き詰まり)へ行き着きます。問いには答えが与えられないのです。それはどうしてなのでしょうか。人間として生きるかぎり、「思っていること」(思いこみ)と「知っていること」(知)の隔たりを解消することができないからです。人間は、全知全能の神と違って、完全な知、絶対的な真理に到達することができません。それに応じてソクラテスの対話的探究は、「イロニー」の原理によって貫徹されるのです。若きキェルケゴールはそれをヘーゲルとともに、「無限の絶対的否定性」と特徴づけます5。
ソクラテスの真骨頂は、倦(う)むことなく問い続ける態度にあります。彼は問いに対する答えを性急に求めません。むしろ「立ちどまって思いを潜めること、すなわち沈黙」を大切にします6。しかし、問いよりも答えを重視する人にとっては、それは耐えがたい事態です。否定に否定を重ねた末、結局のところ、答えは与えられないからです。それとともに答えを求める人は、空虚のなかにおき去りにされてしまいます。そこで前述のトラシュマコスのように、ソクラテスが「答えるのを避ける」と抗議することになります。
それはソクラテスの周囲の弁論家やソフィストに限られません。弟子のプラトンも中後期になると、「問う」ことより「答える」ことに重きをおくようになります。それとともに対話篇に登場するソクラテスは、一問一答のやりとりを捨て、イデアに関する自説を長々と説くようになります。「対話」(dialogue)から「ひとり語り」(monologue)へのシフトが生じるのです。キェルケゴールはここに、ソクラテスその人とプラトンの決定的な差異を見てとります。
ソクラテスとキェルケゴールの〈実存〉
人間は生きる困難に直面し、不安や孤独、ときには絶望のなかで、苦悩しながら自己のあり方を選びとって生きます。そのような人間のあり方を、キェルケゴールは〈実存〉(Existents)という語で表現します。「実存が内包する困難、実存する者が直面する困難は、抽象的な思考によって用いられる言語のうちにはけっして現れない。ましてや説明されない」のです7。
4 プラトン『ソクラテスの弁明』納富信留訳、光文社古典新訳文庫、2012 年、32 頁(21d)。
5 『キルケゴール著作集20』飯島宗享・福島保夫訳、白水社、1966年、12.22頁。
6 同書、21頁。
7 『原典訳記念版キェルケゴール著作全集 第7巻』大谷長訳、創言社、1989年、13頁。ただし訳語は一部変えてあります。
